Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

意外にも図星 ―アルマイトの栞 vol.215

おそらくデタラメかと思われる漢詩の五言絶句だか七言律詩だかみたいな文字がサイケデリックな極彩色のTV画面に映り、それを朗々と訓読するナレーションの声が松尾スズキさんだったと云う奇態な夢から目覚めてみれば深夜の2時38分で、ことほどさように自分のアタマが不可解な状態に陥っている原因は、「女王蜂」のアルバム『奇麗』を繰り返し聴いたからではないかと推察され、アタマの中にパンクスな紫色の煙が充満している気分の今は9月初旬の深夜2時47分なのだが、このまま『奇麗』をヘッドフォン爆音で聴いてみようかと迷うものの、だから不眠が一向に改善しないのだと疑われもする一週間だ。

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没後に流出する ―アルマイトの栞 vol.214

うっかりと小説家になってしまった人が、うっかりと日記など綴っていると、その日記を当人の死後に出版されてしまったりするから、小説家を目指す人にとって日記の存在は要注意で、講談社文庫の『久生十蘭「従軍日記」 』の場合も、久生十蘭にしてみれば、まさか己の死後50年を経て己の日記が出版されるとは予想しなかったと思われ、しかも「文庫本」と云う、誰もが安価に入手できるカタチで日記を出版されてしまうに至ったわけだが、コトの全ては、十蘭の没後に遺品の日記を妻が原稿用紙に清書するなんて不可思議な行動に出た瞬間から、十蘭の考えもしなかった方向へと転がり始めてしまったのである。

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全集と向き合う ―アルマイトの栞 vol.213

国書刊行会から出たばかりの『マルセル・シュオッブ全集 』を、なぜだか頂いてしまい、まるで辞書のような厚さ5.2センチの933ページに及ぶ本で、しかも自分にとってマルセル・シュオッブは未読の作家でもあり、どの作品から読むか悩みつつ適当にページを繰って、とりあえず234ページの『ミイラ造りの女』を開いて読み始めたが、それは次のような文章で始まる。「リビアのエチオピアとの境のあたりに、いまでもとても年老いた、とても聡明な人間たちが暮らしており、テッサリアの魔女たちのそれよりもっと不思議な妖術がさかえているということを、わたしは疑うことができない」。何を云ってるのだ、これは。

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視聴への路 ―アルマイトの栞 vol.212

録画したTV番組と買ったDVDは観られることなく埋もれていくのが、ことによると宇宙の真理だったりするのじゃないかと思うほど、HDレコーダの中には観ていない映像が溜まり、棚の上には未開封のDVDが積まれ、今年の4月1日リリースのDVD『"Don't Trust Ryohei Shima" TOUR 〈完全版〉 』の場合、発売前にAmazonで予約して、それどころか一刻も早く入手したい欲望から、つい「プライム会員登録」をクリックしてしまい、3,900円の年会費まで支払った自分はワンクリック詐欺に引っ掛かるタイプではないかと危ぶまれるのだが、ともかく、発売日の前日に届いたDVDは4ヶ月も未開封で、自分で自分を罵る。

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英知は中指を立てて ―アルマイトの栞 vol.211

ふとした出来心みたいな動機から買った本は、講談社文芸文庫の『折口信夫 芸能論集 』で、一応は舞台だとかに少しでも関わっているような自分なのだから、「芸能の世界」の隅の隅のギリギリの端っこをウロウロしているように思われ、それなら「折口信夫」の「芸能論」とかは読んでおかねばならないのではなかろうか、と、酷く消極的で主体性の無い動機を心に抱き、ともかく書店の棚から本を取り出してパラパラと眺め、裏表紙には「日本の英知・折口信夫の三部作、ここに堂々の完結。」と記されているけれど、せっかくの「日本の英知」の三部作なのに、初めの二作を読まずに三作目だけ買う自分は失礼だと思う。

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