Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

42日間が空白 ―アルマイトの栞 vol.217

なぜ『月刊「ムー」2015年10月号』などを読んでいるのかと云うと、それは『月刊「ムー」2015年10月号』を頂いてしまったからなのであって、くださった人が何を目論んでいるのかは定かでなく、本誌の記事の中に、何か切実に知って欲しい事柄でも書かれているのかも知れないけれど、そうだとしても、どの記事なのか目次を見ただけでは自分に心当たりが無いので、すると、最初のページからキチンと読み進めなければならず、つい熟読してしまうのだったが、まさか、「別冊スペシャル付録 ヴードゥー魔術精霊のシンボル」をプレゼントしてくださったのだとしたなら、それでワタシにドウしろと云うのか。

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簡単明瞭な世界観 ―アルマイトの栞 vol.216

アメリカの言語人類学者ダニエル・L・エヴァレットは、言語学のフィールドワークを行う目的で、ブラジルのアマゾンに暮らす少数民族ピダハンの集落へ出向いて彼らと共に生活し、そこでの体験の一部始終を綴った著書の邦訳が、みすず書房『ピダハン 〜「言語本能」を超える文化と世界観〜 』なのだが、原著の表題は「DON’T SLEEP, THERE ARE SNAKES」となっており、和訳すると「眠るな、そこにヘビが居る」で、これはピダハンたちが夜の時間帯に仲間へ別れを告げる際に使う言葉なのだそうだから、つまり「お休みなさい」の挨拶だろうけど、「そこにヘビが居るぞ」では、怖くて眠れたものではない。

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意外にも図星 ―アルマイトの栞 vol.215

おそらくデタラメかと思われる漢詩の五言絶句だか七言律詩だかみたいな文字がサイケデリックな極彩色のTV画面に映り、それを朗々と訓読するナレーションの声が松尾スズキさんだったと云う奇態な夢から目覚めてみれば深夜の2時38分で、ことほどさように自分のアタマが不可解な状態に陥っている原因は、「女王蜂」のアルバム『奇麗』を繰り返し聴いたからではないかと推察され、アタマの中にパンクスな紫色の煙が充満している気分の今は9月初旬の深夜2時47分なのだが、このまま『奇麗』をヘッドフォン爆音で聴いてみようかと迷うものの、だから不眠が一向に改善しないのだと疑われもする一週間だ。

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没後に流出する ―アルマイトの栞 vol.214

うっかりと小説家になってしまった人が、うっかりと日記など綴っていると、その日記を当人の死後に出版されてしまったりするから、小説家を目指す人にとって日記の存在は要注意で、講談社文庫の『久生十蘭「従軍日記」 』の場合も、久生十蘭にしてみれば、まさか己の死後50年を経て己の日記が出版されるとは予想しなかったと思われ、しかも「文庫本」と云う、誰もが安価に入手できるカタチで日記を出版されてしまうに至ったわけだが、コトの全ては、十蘭の没後に遺品の日記を妻が原稿用紙に清書するなんて不可思議な行動に出た瞬間から、十蘭の考えもしなかった方向へと転がり始めてしまったのである。

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全集と向き合う ―アルマイトの栞 vol.213

国書刊行会から出たばかりの『マルセル・シュオッブ全集 』を、なぜだか頂いてしまい、まるで辞書のような厚さ5.2センチの933ページに及ぶ本で、しかも自分にとってマルセル・シュオッブは未読の作家でもあり、どの作品から読むか悩みつつ適当にページを繰って、とりあえず234ページの『ミイラ造りの女』を開いて読み始めたが、それは次のような文章で始まる。「リビアのエチオピアとの境のあたりに、いまでもとても年老いた、とても聡明な人間たちが暮らしており、テッサリアの魔女たちのそれよりもっと不思議な妖術がさかえているということを、わたしは疑うことができない」。何を云ってるのだ、これは。

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