会話の身体 ―アルマイトの栞 vol.20
子どもの頃から社交辞令的な会話が苦手である。いや、社交辞令的な会話に長けた子どもなんて可愛げがない。子どもは天衣無縫で好いのだ。「どんなかんじにする?」と尋ねる床屋のおじさんに「ウルトラマンみたくして」と云っても許されるのである。モヒカン刈りだよ、それ。大人は云わないほうが好い。人は成長の過程でいつしか社交辞令的な会話や振る舞いを身に付けるのである。しかし、どうも自分はそれを身に付け損なった気がする。
さほど面識の無い、会えば会釈をする程度の間柄の人から「暑いですねえ」などと云われる。そこで素直に「そうですね、蒸しますね」とでも返せば好いものを、そのコトバがすぐに出ないのである。「そんなに暑いかな」とか思ってしまうのだ。子どもだったら「ウチはボーナスでクーラーを新品にしたよ」と口走っても許されるだろう。だがこちらはもう30代半ば過ぎである。そんな非礼な返事も出来ないではないか。となると、一瞬口ごもって「暑いですね」とか云って会釈をしたり精一杯の作り笑いなどをすることになる。なんでもっと自然に出来ないのか。