喋り合うなら ―アルマイトの栞 vol.172
昨年の、たしか10月末頃、新潮選書の刊行予告で鶴見太郎著『座談の思想 』を目にして、そこに記された目次に驚いた。そもそも「座談には著作物よりも思想の本質が現れる」と考えて「座談とは何か」を追い掛け始めた著者の着眼点にビックリした。座談会ばかりを調べようと思い付く発想が、マトモではない。目次には細かな小見出しが89項目も記され、それを見ただけで興味津々となった。いきなり「岩倉使節団の欠落点」である。幕末に、何か起きたのだ、「座談」史的に。最も気になった項目は第三部の中ほどだ。「言い出せないが、何かそこにある」。本文も読まぬうちに「絶対に、何かあるよな」と賛同してしまった。