Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

いろいろ届くので ―アルマイトの栞 vol.171

2014年もTetra Logic Studioを宜しくお願いします。年末には知人から、多過ぎるとしか思えない量の餅を頂き、ありがたいことだ。宅配便で届いた餅の箱は妙に大きく、厳重にガムテで梱包してあった。風邪気味でグタグタだったが、餅を放置するとロクなことはないので、箱を開けた。大量の餅の他に、蜜柑、リンゴ、そして、なぜか醤油。「日本の近代文学」めいた年末の差し入れで、自分は「東京の下宿で売れない小説を書いてる売れない小説家」だろうか。そんな妄想を抱いたら、箱の底から干し柿が二つ現れた。こうなると、日記帳に万年筆で俳句でも詠むべきではないかと思うが、日記帳も万年筆も持っていない。

わざわざ日記帳や万年筆を買いに出掛けるのも考えものなので、こんな状況に似合いそうな日本の近代文学を読もうかと、書棚を漁った。芥川龍之介『年末の一日』。ひねりが何も無い。芥川の身辺雑記のような小品である。年末の芥川の家を訪れた「K君」に、芥川が夏目漱石の墓所を教えると誘って出掛けるが、霊園の中で迷子になってしまう展開だ。芥川としては「僕自身にも信じられなかった」わけで、K君が「困りましたね」と漏らした一言に「冷笑に近いものを感じた」そうだが、気にし過ぎだと思う。墓参りでは誰もが経験することだ。そして霊園の掃除係の人に尋ね、漱石の墓へ辿り着く。道に迷ったら、先ず人に訊くのが最善だと、方向音痴の自分は断言する。

とは云え、K君と別れた後も芥川は相当に気に病んでしまった様子で、こんな場合、酒呑みなら「ヤケ酒」かと思うが、芥川は下戸で、酒を呑まない。そんな芥川は、一人の男が荷車を引いて坂を登るのを目にして、手伝うと声を掛け、「僕自身と闘うように一心に」車の背を押し始めてしまう。難儀な人である。これが芥川ではなく、中島らもサンだったら、間違いなく「ワイルド・ターキーをラッパ呑み」とか云う展開なのだろうけど、それはそれで過激だ。そう考えてゴロゴロしながら本を読んでいた午前3時頃、友人から携帯にメールが届いた。「いまTV見てるんだけど、これって、何がいいのか?」。全く意味不明である。確実なことは、「酔っ払いのメール」の一点だけだ。

それでも、せっかく自分に何かを尋ねてのメールだから、ムゲにするのも好くない。数少ない友人は大切にすべきで、ともかく返信のメールを書いた。「’90年代の小沢健二のような音楽を目指してる印象だけど、どの曲も同じ曲に聞こえる。『今夜はブギー・バック』を超える曲は難しい」。これもまた、意味不明である。送信してはみたものの、返信の届く様子が無い。それで追伸を送った。「歌詞はリリカルであってほしい」。ますます意味不明で、どちらが酔っ払いかと思うが、自分はシラフだ。結局、返信は無く、酔い潰れたのでなければ、友人の期待する回答ではなかったのだ。「それならウチに餅が余ってるから分けるよ」が、年末の期待に応える万能の回答だったと、いまさら気付いた。

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