Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

売る方便について ―アルマイトの栞 vol.226

1000022985.jpg

大津伴絵さんの写真の個展『ARRIVED at 51Pegasi』の会期が終わり、個展に合わせて刊行した彼の写真集『洲ノ空』がどれほど会場で売れたのか、写真集へ寄稿の文章を書かされた自分としては気になるのも致し方ないことで、けれども大津さんは売れ行きを尋ねてもハッキリした答えを教えてくれず、しかしKat Designの加藤さんが他の全ての仕事を投げ出してしまったかのように編集とデザインに専念した写真集『洲ノ空』が初版1刷200部だった事を考えれば、少なくとも、これだけは明言して構わない。納品された瞬間から残部僅少である。

そもそも一般的に、写真集が飛ぶように売れるのは稀で、しかも初版1刷の後に増刷される事例も少ないらしい話を出版事情に明るい人から聞かされ、それだからなのか、どうも神保町の古書店を徘徊すると、写真集とか写真集に類する本を多く見かけるような気もして、だからと云って、神保町での個展で販売した写真集の売れ残りを会期の終了直後に神保町の古書店に持ち込むのもいかがなものかと思いもするのだが、しかしながら、大津さんが駅前などで歌を唄いつつ路上に写真集を並べて販売を試みる行為だけは友人として制止しなければならない。

そんな漠然とした不安を個展の当初から抱いていた自分は、実のところ個展の会期中に頻繁に会場の『クラインブルー』へ顔を出しては写真集の売れ行きの具合を大津さんに問い、まるで寺銭を集めに現れる地回りの任侠の人のような振る舞いを続けたばかりか、その会場を訪れてくださる大津さんの友人たちに「写真集を買ってください」とマッチ売りの少女みたいな言葉を繰り返し口走り続け、いっそのこと物販棚に積まれた写真集の前に「感動の涙で写真が見えません!」だとか記した手描きのポップを立ててしまおうかと考えたほどだ。

ところが、商売っ気が在るのか無いのか定かではない大津さんは、個展の会期終了後の売れ残りの写真集の扱いについて当人なりの策を考えていて、新宿と高円寺に在る写真集を専門に扱うギャラリーも兼ねた店に販売を委託するつもりらしく、そればかりか外苑前のギャラリーで開催されるグループ展でも販売を試みるそうなので、出版界の通例に従うなら、それら各所へKat Designの加藤さんが担当編集者として著者の大津さんを連れて出向いてサイン本を作ると共に、販促用ポップを配るべきだ。「2024年6月の刊行直後より残部僅少!」。嘘ではない。

雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

錯誤の果てに ―アルマイトの栞 vol.225

1000022111.jpg

日頃は映像の人だと思って接している大津伴絵さんは写真の人でもあって、そのいずれが彼の自我の中で先行しているものかは知らないのだけれども、写真の個展を開こうとしている今の彼は“写真の人”で、自分の気付く限りではあるが、おそらく今年の二月頃には写真展を企て始め、三月に至って写真集の刊行も思い立ち、そこへ策士の如くにKatDesignの加藤さんが手を貸し始めたらしく、三月の下旬になって大津さんからLINEが届いた。「写真を見て頂き寄稿文を!」その原稿依頼の簡潔極まりなさに、自分は文字数を問うタイミングを逸した。

個展の会場となるギャラリー&カフェバー『クラインブルー』で写真を見せられたのは四月の下旬で、約束の時間に店へ入ったら、すでに来ていた大津さんと加藤さんの陣取ったテーブルにはオビタダシイまでの点数の写真が在るばかりか、A4用紙に何枚にも亘って出力された写真のサムネイルさえ在って、この段階で「写真を見て文章を」であれば「たくさんあってオドロイタ」とだけ書いて終わりそうにもなるが、そんな愚かな事しか思い付かない自分のわりには展示計画へ話題が及ぶとアイデアに満ちるのである。「会場へ入った目の前の壁に“大津伴絵 略年譜”を貼り出そうよ」 即座に却下された。

いや、刊行する写真集についても自分はアイデアを口にしたのである。
「巻末に“大津伴絵 略年譜”を入れようよ」
却下されてしまった。その写真集はとっくに印刷所へ入稿されてしまっているのだが、納品された写真集に略年譜だけを紙一枚で挟み込む方法は残っているなどと考える自分が居るうえに、会場限定販売のサイン本を作ってはどうかとか、お渡し会を催すのはどうかとか、それなら握手会も企画すべきではないかとか、すると“大津伴絵とチェキ会”はどうかとか、およそ大津さんに対する自分の認識の錯誤ぶりこそドウかと思う。

ところで今頃は印刷所のいずれの工程に在る写真集なのかは知らないのだけれども、そこへ自分の寄せた文章がアレで本当に大丈夫だったのだろうかと些か不安になるのは、加藤さんへの仮入稿も兼ねたつもりで大津さんと加藤さんへCc.メールで送った初稿が、とりたてて具体的な意見も戻らないままの最終入稿にされてしまったからなのであって、写真集が刷り上がって納品された後に待ってましたとばかりに自分の大津さんに対する認識の大錯誤が露見する可能性さえあり、その時こそ、寄稿文の上から貼るシール式の“大津伴絵 略年譜”が大活躍である。

雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

血まみれな本 ―アルマイトの栞 vol.224

なんたる怠惰でノロマなのかとホトホト呆れることに、たった一冊の文庫本を読み終えてみれば、二ヶ月以上の時間が経過しており、それは徳間文庫の山田風太郎『人間臨終図巻Ⅰ 』なのだけれど、「Ⅰ」であるからには続巻もあるわけで、これは全三巻のうちの「Ⅰ」だから、このまま「Ⅱ」「Ⅲ」と読み進めていきたいところだが、2001年に「Ⅰ」だけを買って、読まずに書棚に放置し、買ったことすら忘れ、「Ⅱ」と「Ⅲ」は所有しておらず、ともかく、購入してから読み始めるまでに15年が経過し、読み終えるまでに二ヶ月以上を費やし、1977年に打ち上げられたボイジャー1号だったら海王星を通過している頃だ。

続きを読む>>
雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

発掘への道 ―アルマイトの栞 vol.223

全くもって思いもしなかった研究テーマも在るものだと、つい唸らざるを得なかったのは、『共産テクノ ソ連編』なる書籍が刊行されると知ったときで、初めてタイトルを耳にした際には、「協賛と提供」と聞き誤ったほどなのであって、つまり、それほど、盲点を突いたような研究テーマが「共産テクノ」であり、そんなテーマに取り組む著者の四方宏明さんは、自らを「音楽発掘家」と称しており、そんな肩書きすら初めて目にするわけで、その肩書きの意味するところは「あまり世に知られていない音楽を見つけては紹介する人」かと思うが、そう文字に書いてみて、ふと思った。ワタシも、それになりたい。

続きを読む>>
雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

邪魔する二助 ―アルマイトの栞 vol.222

「あ、キミみたいな人が、きっと気に入る感じだな」と人から薦められたのは、小説家の尾崎翠で、その名前こそ知っているものの、未読の作家だったから、ともかく河出文庫の『第七官界彷徨』を手に入れ、全く未知の世界へ足を踏み入れる心持ちで本を開くと、その冒頭の書き出しは次のごとくである。「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである」。いきなり「恋」などと書かれて、危うく本を取り落とすところだった。自分のような者が読んでも構わないのか、おおいに不安がよぎるわけである。

続きを読む>>
雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク