血まみれな本 ―アルマイトの栞 vol.224
なんたる怠惰でノロマなのかとホトホト呆れることに、たった一冊の文庫本を読み終えてみれば、二ヶ月以上の時間が経過しており、それは徳間文庫の山田風太郎『人間臨終図巻Ⅰ 』なのだけれど、「Ⅰ」であるからには続巻もあるわけで、これは全三巻のうちの「Ⅰ」だから、このまま「Ⅱ」「Ⅲ」と読み進めていきたいところだが、2001年に「Ⅰ」だけを買って、読まずに書棚に放置し、買ったことすら忘れ、「Ⅱ」と「Ⅲ」は所有しておらず、ともかく、購入してから読み始めるまでに15年が経過し、読み終えるまでに二ヶ月以上を費やし、1977年に打ち上げられたボイジャー1号だったら海王星を通過している頃だ。
『人間臨終図巻』は、歴史上の著名人などの「臨終の様子」だけに焦点を当てて綴られた本で、目次は「十代で死んだ人々」「二十代で死んだ人々」と始まるが、その次からは「三十歳で死んだ人々」「三十一歳で死んだ人々」「三十二歳で死んだ人々」と一歳刻みで章立てされ、本書『人間臨終図巻 Ⅰ』は「五十五歳で死んだ人々」までとなり、それでも総勢324名の人々の臨終の様子に詳しくなれる希有な書物ではあるのだけれども、しかし、たとえば画家の岸田劉生の臨終の様子について、病没する二日前から「マチスのバカヤロー!!」と叫び始め、その後も「バカヤロー、バカヤロー」と繰り返し叫びながら没したなどと云う知識を、いったいドンナ場で役立てて披露すれば好いのだろうか。
本書一冊だけで取り挙げられている人物が324名にも及ぶ一方、本書は総ページ数525なので、単純計算で一人につき1.5ページ程度の記述かと思うと、著者の気紛れではないのかと疑うほど、人物毎の記述量はバラついており、最も記述量の多いのは太宰治の約5ページで、突出していると表現しても過言ではなく、では、最も記述量の少ない人物が誰なのかと云うと、柳生十兵衛なんである。考えてもみてほしい。著者は山田風太郎ではないか。柳生十兵衛に10ページくらい費やしても好さそうなものの、たった2行半しか記述せず、「鷹狩の時俄に歿す」等の文献引用を2行ほど記したうえで、「詳細は不明」で終わりである。山田風太郎は柳生十兵衛について、何かを隠している気がしてならない。
人物毎の記述量も気紛れではあるが、そもそも本書で取り挙げている人物の選定じたいが、山田風太郎の気紛れのような気もするわけで、ことによると、酒でも呑みながら、気の向くままに綴ってるような印象もあり、その理由は、この本に一人の大酒呑みの俳優が反応し、「人間臨終図巻を舞台にする」と騒ぎ出したことが風の噂で伝わってきたからで、さらに「ユキさんに照明を頼むかも」と穏やかならぬ話まで聞かされたのだが、本書を、どうやって舞台作品にするのか、全くもって見当が付かず、しかも、その大酒呑みの俳優は、一ヶ月後くらいに上演したい気で居るらしく、無茶もイイところで、ホントに自分などに照明を担当させるなら、全編「血染めの赤」で照らしてやろうと思う。
Comments