FPAPで気づいたこと ―発見する場所09
良く地域と劇場の関係が大事だと語られることがある。
素直に言って、それは東京の人が東京以外の場所で仕事(整理、認識)をするために使われていて、地域の中だけで完結すれば良いとする考え方の延長でしかないと感じることがある。
最近、僕自身は都市全体の舞台芸術の場をどう生み出すかに関心があるので、その立場からは、この考え方はどうも違和感がある。もちろん地域のことを考える必要はある。だが、例えば仙台を考えた時に、仙台の演劇環境と札幌の演劇環境はどう違うかというような都市間の差異をそれ以上に意識する必要があると思っている。舞台芸術の場自体を公共劇場に集約していくことへの違和感もある。
もう一つは、集積である。その都市に例えば舞台芸術のコンテンツ(人、活動、場所)がどのように集積しているのかが、その都市の舞台芸術の機動力のようなものを示しているのではないかと考えている。
要するに、地域と劇場という言葉は、地域の外へ目を向けることを暗にやりにくくなっているのではないかと思うのである。
先日福岡のぽんプラザとFPAPに初めて訪れる機会があった。一見、何気ない小劇場である。
正確には、下水道の施設との共有の施設で、あの四季劇場も入っているキャナルシティのすぐ側の小さな場所で、立地は良いが見過ごされそうな場所であり、いろんな意味で小劇場だ。
しかしながら噂には聞いてはいたが、その活動は幅広い。プロデュース公演から、大学の演劇祭の支援など多岐に及ぶ。更にFPAPの事務局長の高崎さんやスタッフの人達と話をしていて、そのフットワークの良さに驚く。そのフットワークの良さがいろんな活動を集積していく。それは博多の長浜の屋台とでもいうのであろうか、小規模ながら豊かな機動力を持った場と言う印象だった。
ニュアンスは違うが、高崎さんも都市間競争を意識しているとのこと。加えて、福岡からは東京は遠すぎて、直接的な影響を受ける対象としては薄く、ある意味冷静な視点で物事を捉えることが出来るのかもしれないと感じた。特に具体的な事業を展開している北九州市の北九州劇場や長崎、宮崎等の意欲的な事業を展開しているホールの存在などとどう連携し、逆算してFPAPのすべきことは何かそういう問題の組み立て方だ。
結果的にどうみても、FPAPの活動は地域と劇場の関係をつくり出す優れた活動なのだが、出発点が異なることとその関係をつくり出すフットワークの良さがあるからこそそれらの活動が生み出されている。
単純な地域と劇場の関係という図式に縛られていないというとことか。
こんなことを考えながら、今仙台でプロデュース公演の製作に関わっている。
昨年度の第三回仙台劇のまち戯曲賞の大賞作品「ミチユキ→キサラギ」(作:中澤日菜子)の公演プロジェクトである。来年2月の公演に向けて思考錯誤の日々である。
ここでの思考錯誤は、また別の機会に。
Comments
自分でも気づかない、切り口での視点に新鮮な感動を覚えています。
屋台っ、たしかに屋台的かも。