10年の時間 ―アルマイトの栞 vol.31
10年と云う時間はモノや人をどう変えるのかってことを、なんとなく考えたりするのである。「10年経過した劇場」とか「10年経過した喫茶店」とか、まあなんでも好いのだけど、ともかく10年で何が変わるのか、それとも変わらないのか。そもそも「自分の10年」はどうだ。「この10年」と「これからの10年」ではやはり同じではないだろう。「この10年」はと云えば、先ず丁度10年前に住む場所が変わったな。東京家政学院大学って場所でお世話になることにもなった。Tetra Logic Studioも作ったじゃないか。しかしこれらを含めて全てのことは自分の「これからの10年」を考えるための参考にならないように思う。全てが「予期せぬ事態」の連続だったからだ。
考えようによっては「予期せぬ出来事」の連続が「変化」を生むのかもしれない。出来たばかりの劇場をいざ使いはじめたら、何だか具合の悪い「予期せぬ部分」があって「ここを直しましょうよ」ってことになる。まさかこんな所でと云う場所で転ぶ「予期せぬヤツ」が居て、手摺りを付けるハメになる。劇場だけではない。静かに客が読書を愉しむ喫茶店を開いたつもりが、うるさい「予期せぬ子ども」を連れたうるさい「予期せぬ母親集団」の溜まり場にされてしまって、「お子様連れのお客様へ」なんて貼り紙をせざるをえなくなる。こう云うことは確かに変化だ。しかしなんでロクでもないことしか思い浮かばないのだ。
過去に何度か舞台の公演をした時、いつだって前売りチケットを予約する客はそう多くなく、当日券もそこそこの数だった。そうしたらある年の公演で、珍しくそれなりに売れていた前売り予約の客に加えて、「予期せぬ数」の当日券を求められる事態が起きた。どう考えても全ての客を会場に詰めることは出来ない。会場は小さかったのだ。公演時間そのものはそんなに長くない。それで役者が「20分の休憩をもらえるなら二回連続公演でもよい」と云いだして、本当にそれを実行した。「予期せぬ来客数」が上演方法に変化を起こしたわけだ。これが「ロクでもないこと」だとは思わなかったけど、実際に演じている役者やスタッフにとってはとんだ迷惑だったかもしれない。感謝すべき事態だとはわかっていながらも。現に終電を逃したスタッフまで居たのだ。それを人は「嬉しい悲鳴」と云うのだろう。
いずれにせよ「変化」と云うのはやっぱり「予期せぬ事態」が引き起こす結果なのだと思うわけだ。劇場も含めて、何か新しい場所を構えると云うことは、この「予期せぬ事態」の連続に直面することなのだと云ったら大袈裟だろうか。そうして、好くも悪くもその場所は変化するのである。「この10年」を振り返ることにはそれなりの意味がもちろんあるけれど、「これからの10年」をそこから導き出せるのかどうかはわからない。むしろ、予想できる10年先って云うのは「予定調和」と云うか、率直に云えば「あまり面白くないんだよな」と僕自身は思ってるし、だから新しく何かを始めると云うことが面白いのだろう。次から次へといろんなことに手を出す自分の原動力はこのあたりにあるのかもしれない。
Comments