取材の心 ―アルマイトの栞 vol.30
ともかく『STAGING』の連載原稿執筆は終わった。今回取り上げた「兵庫県立芸術文化センター」は執筆テーマとしてチョット難解なのではないかと危ぶんでいたのだが、いざ書き始めたらわりとすんなり筆が進んだ。何が「難解」だったのかと云うと、それは単純に僕が知らない土地にある劇場だからだ。今まで取り上げた「横浜にぎわい座」「シアターコクーン」「サントリーホール」は自分も馴染みの場所にあるから、取材に行く以前に土地に対する予備知識はある。「北上市文化交流センター」の回は少し悩んだな。何せ「地理」が苦手科目の僕で、酷いことに最初「北上」って云われたとき、「日本のどこ?」って思ったくらいである。北上市の人々には失礼極まりない執筆者だ。
しかし、事前に北上のことを調べたら、かなり原稿のネタになるような事柄もたくさん発見したし、現地に行っていろんな発見もあったから、実はこの回の原稿もかなり手際よく書けた。しかし今回の「兵庫県立芸術文化センター」は事前の調査からして悩んだ。そもそも最寄り駅の「西宮北口」って駅の名前が初耳で、僕は西宮市にどんなイメージも持てないまま、最初の日帰り取材に行くことになったのだ。そもそも、この最初の日帰り取材がどうかと思う結果に終わった。取材に同行してくれたのはSTAGINGの編集・デザインを担当してくれているライトハウスのデザイナーであるKさんはじめ3名。しかし、兵庫に向かう新幹線の車中で、全員の話題が南京町の中華料理になってしまっている。そしてホントにこの日の取材を終えた一同は、帰りの新幹線の時間を気にする雰囲気すらなく、南京町に直行してしまったのだ。このときの日帰り取材は、南京町の記憶しか残っていない。何をしに行ったのかと思うくらい、たいへん美味しい小龍包と紹興酒の記憶しかないのだ。
これではいけないと思い、次の本取材までの間に西宮のことをきちんと研究しようと思った。しかし、やはり「難解」な場所なのである。それは、僕にとって初めての場所であると云うことだけでなく、阪神淡路大震災と云う出来事が、その土地の歴史を分断していることに原因があるようだった。いつもこの連載原稿では、劇場を単体で取り上げるのではなく、その土地の記憶のようなものを併せて書こうとしている。しかし西宮は1995年1月17日を境に、歴史が一度断ち切れているのだ。震災前の地図などを手に入れてみたものの、あの震災そのものでさえ、僕には直接の影響も間接の影響も及ぼさない出来事だったから、文章の書き出しには確かにそれなりの「悩む時間」を必要としたのだ。
今の西宮は中心駅の「西宮北口」界隈が再開発の真っ盛りで、つまりこれから歴史を作ろうとしている場所である。そこにある「土地の記憶」と云うのは何なのか。どうにか原稿を書き終えた今も、そのあたりが旨く掴めたかどうか、自信がない。贅沢を云えば、一泊二日の取材ではなく、もう少し時間が欲しかったのだ。出来れば劇場の周辺を半日くらい一人で徘徊する時間があれば好かったと思う。地図の上で、いくつか目を付けていた場所はあったのだ。しかしそこをブラブラするにはあまりに時間が足りなかった。劇場そのものは、これでもかってくらいに見て回ったのだけれど。
帰りの新幹線の時間を気にもせず南京町へ突進するエネルギーを他に使うべきだったね。と、今更ながらの反省である。まあしかしこう云う余計なことも大事と云えば大事なんである。何事もどこかに不純な動機のあるほうが長続きするものだからさ。過去の取材を振り返っても、いつも何かしら余計なことをしている。この雑誌や僕の連載がこれだけ続いているのは、ひとえに編集メンバーの絶えることない遊び心のおかげかも知れない。そう思えば、編集メンバーのみんなにはひたすら感謝である。
Comments
先日電話で兵庫に来ていたのは聞いてたけど、「西宮北口」って、うちの店の隣駅だって知ってた?
今度、兵庫、大阪に来るときは連絡してください。マクドのコーヒーくらいおごります。陽だまり