Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

複製のリアル ―アルマイトの栞 vol.29

Tetra Logic Studioを作る少し前に、劇場の模型製作を頼まれたことがあった。ある日、世田谷パブリックシアターの技術部長であるMさんから電話があって、「演出家打ち合わせ用の劇場模型を作ってくれ」と云われたのが発端だった。僕一人では手に余るので、模型製作が得意な卒業生をかき集めた。卒業はしたものの、どう云うわけか世間をさまよっていた連中である。そんなヤツらが何人も居たのだ。困ったものだと思いつつも、この時ばかりはその連中の存在に感謝した。随分とリアルな模型を2ヶ月ほどで作り上げてくれたのである。「オマエらは機械なのか」と云う連中だった。

家政学院でも学生のインテリアの課題で模型を作らせることがある。それをいつも見ていて思うのは模型と云う「複製」の「リアルさ」はどこにあるのかと云うことである。毎回、何かしらトンデモナイ模型を作るヤツが居るのだ。その「トンデモナイ」は「スゴイ」と云うことではなくて、本当に「トンデモナイ」のである。ある課題で、伊豆だかどこかの太平洋を臨む高台に老夫婦が二人で使う別荘のような住宅を想定し、その間取りやインテリアの計画を学生にさせたことがあった。図面は当然のこと、縮尺1/50の模型も作らせた。これがさ、なんだかエライことになったのである。

女子大だから学生は女の子ばかりで、だからなのかなんなのか、彼女たちは妙にコマゴマとしたところを模型で表現しようとするのである。これが「トンデモナイ」の入口になっているらしい。海を臨む高台が気に入って、ゆったりした老後の時間を過ごそうと云う夫婦である。そりゃあ、夫の趣味が海釣りであっても不思議はない。それを模型で表現しようとした学生がいた。模型の広いリビングの壁に、額装したらしい魚拓が貼り付いていたのである。幅が3cmくらい、高さが2cmくらいに切り取られた厚紙に筆ペンで描いたらしい「魚拓のような」絵があった。「魚拓らしさ」はかなり表現できている。何かを参考にして描いたのかは知らないが、「クロダイかな」と思った。

だが冷静に考えてみてほしい。作っている模型の縮尺は1/50である。ってことは、模型の中の2cmは実際の長さとして1mを表現していることになるのである。だとすれば、この「クロダイ」みたいな魚は、実際には体長1.5mで、背ビレから腹ビレまで1mある巨大魚だ。放射能でも浴びなければ、ここまでクロダイが大きくなることはない。そもそもこんなに巨大な魚を定年後の老釣り師が一人で釣り上げたとでも云うのだろうか。磯釣りでこんな巨大魚を引っかけたなら、釣られるのは間違いなく人間のほうだ。いや、海に落ちる前に竿を離せよと云ってやりたい。『老人と海』ではないのだ。ヘミングウェイの別荘を計画しろなんて誰も云ってやしない。

これは誤ったスケール感で模型を作っていることが一つの原因である。では、大きさに対するスケール感が正しければ好いかと云うと、これもまた不思議な問題を起こす。「ソファにはクッションを置きたい」と云ってた学生が、模型のソファに並べるクッションを本当に布地で裁縫して作っていた。縮尺として誤りはない大きさのクッションだけど、妙な違和感があった。実はこれもスケール感が正確ではない発想の一つなのだ。つまりクッションの大きさはともかく、使われている布地の目と糸がそのままなので、「大きさは1/50、布目と糸は実物大」と云う混乱を起こしているのである。このまま50倍したらきっと荒縄で編んだ荒布のクッションになって、かなり禍々しいインテリアになるに違いない。何せ色は真っ赤だ。そんなクッションを誰が買うんだ。

実物を縮小して作る模型のようなものは、大きさだけではなく、使う材料の質感も含めて縮小しないと何だかおかしなことになるのである。これは絵でも同じで、人の顔を描くとき、髪の毛を一本一本描いたってリアルには見えない。むしろ適当な省略をした表現の方がリアルに見えるものだ。それは、僕等が誰かの顔を見るとき、髪の毛を一本ずつ見分けているのではなくて、髪型とか、部分的ないくつかの塊として見ているからである。よほど相手の頭部に近づかない限り、髪の毛一本を見つめることは出来ない。見る対象が実物でも、「離れて見る」と云うことは「縮小する」のと同じことなのである。だから旨い省略技法の絵が妙にリアルさを持つわけで、例を挙げるなら大友克洋のマンガのリアルさである。細部まで描き込まれたような印象を与える大友克洋の絵は、よく眺めてみると余白が多い。かなり省略されているのだ。しかし僕等はその余白に勝手に細かな質感をイメージしてしまう。余白に細部を見ると云う、倒錯した論理が表現のリアルさに繋がるのである。

冒頭の劇場模型が妙にリアルだったのは、確かに素材の質感も含めて旨い省略技法が為されていたのだと思う。模型としての素材選定が旨かったのだ。模型と云うのは難しいな。プラモデルのタミヤとか鉄道模型には学ぶところも多いと思う。Tetra Logic Studioの次の仕事に活かせる経験だったろうか。そんなことを考え、しかし連載原稿の執筆は終わらず、そして8月は終わろうとしている。

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