インタビューと無口 ―アルマイトの栞 vol.28
5年ほど前から『STAGING』(ステージング)と云う、舞台や劇場に関する雑誌と付き合っている。連載原稿を書き、その一方でいろんな方々へのインタビューなどもしている。この秋に刊行予定の号の原稿締切が迫ってきたこの頃だ。今回は兵庫県立芸術文化センターの芸術監督で、指揮者でもある佐渡裕さんにインタビューをしたのだが、先ずはその内容を原稿にまとめるのを急いだ。いつもならインタビュー原稿の取りまとめはプロのライターで、速記もやってくださる曽根朗さんにお願いしているのだけど、今回は諸般の事情ってやつで、僕がやっている。小一時間のインタビュー録音を知人にテープ起こしで荒原稿にしてもらって、それを規定の文字数にまとめるわけだ。しかし7,000字の元原稿を4,000字弱にするって作業はかなりヤッカイである。
それでも今回のインタビューは好い方で、そもそも佐渡さんの声質が好かった。レコーダが拾いやすい感じの声で、しかも声量も大きい人だったし、質問への答えも明確だった。インタビューをした場所も劇場の楽屋だったからノイズもほとんど無い。こう云うインタビュー環境ばかりなら好いのだけど、中々こうはいかないんである。大きな声でたくさん喋ってくれれば好いかと云うと、必ずしもそうではないわけで、劇作家で演出家の佐藤信さんは、最初の質問をしたら、そのまま一人で勝手に3時間も喋ってしまった。テープは無くなる、レコーダの電池は切れるで、曽根さんの速記が無かったらどうなっていたのかと云う状況だった。
そんなインタビューを幾つもした中で印象的だったのは、劇作家で演出家の太田省吾さんである。惜しくもこの7月に67歳の若さで亡くなられてしまったが、太田さんにインタビューをしたのは3年前の春だった。京都造形芸術大学の教壇に立って居られた太田さんに話を聴くため、京都まで出掛けた。もともと僕自身がどちらかと云えば人見知りで、インタビュアーには向かないタイプなので、京都に出掛ける前に太田さんの人柄を偵察することから仕事を始めた。運好く世田谷パブリックシアターで太田さん演出の公演が終わった後、学生向けのアフタートークがあると云うので、その会場に紛れ込んだのだ。一番後ろの席にこっそり座って居たのだけど、どう見たって学生ではないよな。
その会場で、学生からの質問に答える太田さんを観察した。とにかくコトバ数の少ない人だった。機嫌が悪いとか、そう云うことではなくて、ともかく無口なのだ。喋る時も一つ一つのコトバを慎重に選んで、考え込みながらボソボソと語る。ダテに「無言劇」と云うジャンルを確立した人ではないなと思った。しかし、その太田さんの「テンション」みたいなものは、普段の僕に似ているとも思った。つまり、僕としては話がしやすい人だと感じたのである。後にこの太田さんの印象を、やはり劇作家・演出家の宮沢章夫さんに話したら「珍しいタイプだよ、それ」って云われた。どうも太田さんの周囲の人は、太田さんの極度の無口に緊張感を強いられているらしかった。「エレベータで二人きりになるとものすごく緊張する」と宮沢さんは云った。
太田さんへインタビューをお願いするにあたって、知人経由で太田さんに話を伝えてもらい、御快諾頂いた後に僕が太田さんへ直接電話をした。無口だった。電話でも無口なんだよ、太田さん。インタビューの日時なんかを決めようと思って話をすると、電話の向こうでしばらく沈黙がある。この「しばらく」がちょっとやそっとの「しばらく」ではなかった。こちらが不安になった頃に「それではね」と声がする。電話であんなに他人を不安に陥れる人も珍しい。事務的な些細なやり取りが随分と長い時間に感じられた。
京都造形大で太田さんにお会いした時、「先ず、大学の劇場を案内してあげましょう」と云うことになった。太田さんが一応の説明はしてくれるものの、無口なバックステージツアーだった。しずしずと劇場の中を歩いたのである。で、その後にインタビューになって、「僕の研究室でやりましょう」との太田さんのコトバに従い、研究室にお邪魔した。確かに太田さんは僕にとって話がしやすい人だった。しかしである。研究室の入っている校舎が改修工事かなにかをしていて、絶え間なくドリルの音が壁を伝って部屋の中に響き渡る。研究室に居る学生は大声で喋っている。どう考えたってレコーダが太田さんの声をクリアに拾っているとは思えない状況だった。そして太田さんは煙草の煙をくゆらせながらボソボソと喋り、そして考え込むのである。因みにこの時のインタビューは速記の曽根さんが居なかった。取材後の編集作業が困難を極めたことは云うまでもない。STAGINGの編集とデザインを担当している事務所のKさんが、イヤホンを鼓膜に押しつけんばかりにして何度も録音を聴いてくれたのである。
インタビュアーと云う立場になると、どうしても僕は相手のテンションに合わせて自分のテンションをコントロールする傾向がある。自分本来のテンションではインタビューが出来ないのだ。本当は自分の普段のテンションで相手に向かうことが出来れば好いのだけどね。それが難しい。しかし太田さんの時はリラックス出来たな。自然に話をすることが出来たのだ。無口な人が相手なら、こちらも無口でいることが許される。そして無口な人間同士なら、その「沈黙」を共有することで何らかのコミュニケーションは取れているのである。こう云うコミュニケーションを「拈華微笑」とでも云うのだろうか。とにかく僕は気分が楽なのだ。この状況をインタビュー原稿で表現出来ないものかと思う。太田さんのインタビューをSTAGING誌上で読む限り、あたかも太田さんがよく喋っているかのように錯覚するのだが、本当はそうではなかった。インタビューの時間の大半を占めた太田さんの「沈思黙考」を旨く表現出来れば好かったと、今更ながらに思うのである。
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