錯誤の果てに ―アルマイトの栞 vol.225
日頃は映像の人だと思って接している大津伴絵さんは写真の人でもあって、そのいずれが彼の自我の中で先行しているものかは知らないのだけれども、写真の個展を開こうとしている今の彼は“写真の人”で、自分の気付く限りではあるが、おそらく今年の二月頃には写真展を企て始め、三月に至って写真集の刊行も思い立ち、そこへ策士の如くにKatDesignの加藤さんが手を貸し始めたらしく、三月の下旬になって大津さんからLINEが届いた。「写真を見て頂き寄稿文を!」その原稿依頼の簡潔極まりなさに、自分は文字数を問うタイミングを逸した。
個展の会場となるギャラリー&カフェバー『クラインブルー』で写真を見せられたのは四月の下旬で、約束の時間に店へ入ったら、すでに来ていた大津さんと加藤さんの陣取ったテーブルにはオビタダシイまでの点数の写真が在るばかりか、A4用紙に何枚にも亘って出力された写真のサムネイルさえ在って、この段階で「写真を見て文章を」であれば「たくさんあってオドロイタ」とだけ書いて終わりそうにもなるが、そんな愚かな事しか思い付かない自分のわりには展示計画へ話題が及ぶとアイデアに満ちるのである。「会場へ入った目の前の壁に“大津伴絵 略年譜”を貼り出そうよ」 即座に却下された。
いや、刊行する写真集についても自分はアイデアを口にしたのである。
「巻末に“大津伴絵 略年譜”を入れようよ」
却下されてしまった。その写真集はとっくに印刷所へ入稿されてしまっているのだが、納品された写真集に略年譜だけを紙一枚で挟み込む方法は残っているなどと考える自分が居るうえに、会場限定販売のサイン本を作ってはどうかとか、お渡し会を催すのはどうかとか、それなら握手会も企画すべきではないかとか、すると“大津伴絵とチェキ会”はどうかとか、およそ大津さんに対する自分の認識の錯誤ぶりこそドウかと思う。
ところで今頃は印刷所のいずれの工程に在る写真集なのかは知らないのだけれども、そこへ自分の寄せた文章がアレで本当に大丈夫だったのだろうかと些か不安になるのは、加藤さんへの仮入稿も兼ねたつもりで大津さんと加藤さんへCc.メールで送った初稿が、とりたてて具体的な意見も戻らないままの最終入稿にされてしまったからなのであって、写真集が刷り上がって納品された後に待ってましたとばかりに自分の大津さんに対する認識の大錯誤が露見する可能性さえあり、その時こそ、寄稿文の上から貼るシール式の“大津伴絵 略年譜”が大活躍である。
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