Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

邪魔する二助 ―アルマイトの栞 vol.222

「あ、キミみたいな人が、きっと気に入る感じだな」と人から薦められたのは、小説家の尾崎翠で、その名前こそ知っているものの、未読の作家だったから、ともかく河出文庫の『第七官界彷徨』を手に入れ、全く未知の世界へ足を踏み入れる心持ちで本を開くと、その冒頭の書き出しは次のごとくである。「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである」。いきなり「恋」などと書かれて、危うく本を取り落とすところだった。自分のような者が読んでも構わないのか、おおいに不安がよぎるわけである。

物語は、「私」と記される語り手の「町子」による一人称で進められ、町子が二人の兄と従兄の計四人で一軒の平屋に暮らすことになる状況から始まるのだが、町子を含む四人全員が、どうにも奇妙な人々で、先ず長兄の「一助」は「分裂心理」を専門とする病院に勤務する医者だが、当人が異常なほど浜納豆に執着しているし、二番目の兄の「二助」は農学部あたりに在籍して卒論を執筆中だけれど、自室の中で二十日大根などを栽培しており、従兄の「三五郎」は二度目の音楽学校受験を目指しているが、部屋のピアノは調律が狂ったままであり、「町子」は「私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう」と密かに企むが、「第七官」とやらの正体は当人も知らない。

この奇妙な四人は、古びた小さな平屋に、とりあえず各自一室ずつを占有し、茶の間と台所を共有しているが、この家屋で最も広い部屋を占有している二助が、よりによって室内で二十日大根の栽培やらコケの繁殖に精を出し、加えて毎晩、室内で肥やしを土鍋に入れては煮る作業を続け、家屋内に強烈な悪臭を充満させ、他の家人が文句を口にしても、「こやしほど神聖なものはないよ。その中でも人糞はもっとも神聖なものだ」と主張し、卒論の執筆に励むのだけれど、このマッド・サイエンティストじみた行為の発端は失恋で、二助の卒論の書き出しは「我は曾つて一人の殊に可憐なる少女に眷恋したることあり」と記され、延々と続く失恋告白を「序論」などと称しているシロモノである。

こんな狂人まがいの二助は、三五郎の受験勉強を邪魔してコキ使い、庭で肥やしを汲み取らせては部屋に運ばせ、肥やしを室内で煮続け、その肥やしで大量の二十日大根を栽培し、いつまで繰り返すつもりなのかと読者を不安にさせるが、ある日、二助は二十日大根の栽培を打ち切り、大量の二十日大根を指して町子に命じる。「おしたしを作ってみろ」。どこまでもマトモではない。それは二助の関心がコケの繁殖作業に重心を移したからなのだが、彼は、活発に繁殖するコケを見て「蘚が健康な恋愛をしている」と感激したわけで、新たな狂気へ突入したとも考えられ、それで町子の恋だが、その話題を失念して読了してしまい、読者の邪魔さえする奇怪な二助が、自分の背後に居る気がする。

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