音量を上げる ―アルマイトの栞 vol.148
鈴木一琥さんのダンス公演『3.10』は無事に終演。御来場頂いた皆さま、ありがとうございました。そして自分はアタマの中が『3.10』公演の照明で凝り固まってしまい、どうにも他のことに思考回路が切り替わらず、そんな時は手当たり次第に音楽をヘッドフォンで爆音状態にして聴くと、アタマの中の固まりが吹き飛んで、気分が変わる。だからと云って、選んだCDが「ペンギン・カフェ・オーケストラ」だったりするのはどうなのかと思うが、爆音で聴くべきではない音楽を、敢えて爆音で聴くとアタマの中がどうなるのかと、好奇心で試してみた。弦楽器の胴体の中に監禁された感じだ。ヘヴィメタのファンを閉じ込めてみたい。
爆音だとか重低音の環境で聴くことが暗黙の了解みたいになっている楽曲は珍しくないが、そんな了解の範囲の外にある音楽を、爆音や重低音で聴いてはイケナイわけでもなく、例えばシューベルトの歌曲『野ばら』を重低音の爆音で聴いても叱られはしない。叱られるとすれば、ヘッドフォンではなくスピーカから音を出した場合で、それは近所迷惑だ。ヘッドフォンを使ったとしても、「周囲に音漏れする音量で『野ばら』を聴く者」は、ちょっと何やらマズイのではないかと思うので、少なくとも公共の場では控えたほうが好く、自室に籠もって実行する場合にのみ、何の問題も生じない。ただし、ついウッカリ、一緒に大声で歌ったりすると、コトである。
そう考えると「歌モノ」は危険かも知れないと思ったので、歌モノではないCDを次々に選び、爆音状態にして聴いてみた。『チベット密教 声明の驚愕』。なぜ、そんなCDを所有しているのか不明なのだが、これを爆音で聴くと、確かに驚愕する。大勢の僧侶が耳の中に乱入してくるような凄まじさだ。けれども、もしかするとコレは「歌モノ」の一種ではないのか?。自分も一緒になって経など唱え出すとマズイので、中断した。映画『メゾン・ド・ヒミコ』のサントラならば歌モノではない筈だと思って、CDを入れ替えた。「爆音向きではない」の条件もクリアしている。それを爆音で聴いていたら、終盤あたりの曲で、いきなり重低音な田中泯さんの鼻唄に出くわして、それはそれで驚愕した。
ここは一旦、むしろ「ペンギン・カフェ・オーケストラ」に戻ったほうが好いのかも知れないと迷いながらも、アレコレと試しているうちに、現代音楽のジャンルに踏み入った辺りから選択基準が怪しくなってきて、いつしか気付けば「暴力温泉芸者」などに辿り着き、それは既に立派な「爆音」の範疇で、ヘッドフォンの音量をどこまで絞っても爆音としか聞こえないジャンルなのだから、もう当初の自分の企ては破綻しており、それに加えて、そんな阿呆な行為にウツツを抜かしていたら、携帯メールの着信に全く気付かなかった。友人からのメールだった。「ダンスの舞台は、無事、すんだ?」。メールを読んだだけなのに、爆音のラップが聞こえた気がした。
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お借りできますか(笑) 抗がん剤治療中のBGMを探してますの