Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

音楽媒体はどこへいく? ―アルマイトの栞 Vol.18

CDが聴けない。突然なのだが。オーディオの調子が悪いのである。今に始まったことではなく、もう一年近く前からだ。購入して10年ほど経つコンポだから、そろそろ寿命なのかもしれない。そもそもこのオーディオの調子じたいが悪くなったのはもう何年も前からだ。一番最初はMDデッキの様子がおかしくなった。その次はカセットテープである。過去に自分で作った曲のデモテープをMDにまとめようとしたら双方が完全にイカレてしまったのだ。

随分と時間を掛けてシンセサイザーで打ち込んだ自分の曲が、もう聴けないのである。MDデッキはディスクを認識しない。カセットデッキに至っては、僕のデモテープを呑み込んだまま開かない。オーディオの電源を入れる度に中でカセットテープが外に出ようと数回暴れるのだが、デッキはそのテープをくわえ込んだままである。こんな状態がもう数年は続いている。

そしてとうとうCDデッキである。一年ほど前から音飛びが激しくなった。何度かクリーナーのCDを回したが効果は全く無いのである。調子よく再生出来るCDもあれば、そうでないやつもあって、これはディスクの側に問題があるのではないかと疑ったほどだ。いや、およそ理工系の人間の発想とは思えないが、「デッキに嫌われているディスクがある」と信じ込むほどにこのデッキは差別的な態度なんである。

ゴンチチとムーンライダーズは再生する度にスクラッチのような音飛びを起こす。デッキの中にDJが居るのかと思うような状態である。しかもセンスの無いDJだ。なぜかアルバムの後半の曲ほどDJが元気になる傾向はどちらも変わらない。しかし、なんと云っても可哀想なのは坂本龍一である。久し振りに彼のソロ・ファーストアルバム『千のナイフ』を聴こうと思ったら、ディスクじたいを認識しない。このデッキは「世界のサカモト」を無視するのである。アカデミー賞まで取った人だと云うのに。このデッキが唯一完全に無視を決め込むアルバムである。

解ってはいるのである。iTunesでMacの中に曲を取り込んでしまえば好いと云うことを。僕はiPodを持っていないが、ともかくMacの中に曲を入れてしまえばCDデッキを頼らなくても音楽を聴くことができる。解ってはいるものの、その「曲を取り込む」と云う作業が何だか面倒でやらずにいたのである。だいたい取り込みたいアルバムの数は尋常ではないのだ。しかし、数日前についに堪忍袋の緒が切れた。デッキの中のDJが更に元気を増したのである。そして「iTunesに入れよう」と決意した。こう云う衝動的な「決意」は理性を伴わない。翌日は学校へ授業に行かなければいけないと云うのに、いざiTunesへの取り込みを始めたら、気が付くと明け方である。ひたすら取り込み作業を続ければ好いものを、一つのアルバムを取り込む度に聴いてしまうのがいけない。久し振りに『千のナイフ』も聴いた。ディスクは無事だったと云うことだ。それともMacが「世界のサカモト」を認めたのか。

しかし、CDと云う媒体が出て来てから、僕等はどれほど音楽の再生媒体に振り回されてきたことだろう。新しい媒体が登場する時は、いつだってその優れた側面だけが強調されるが、思わぬトラブルも起きるのである。舞台で使う音楽を、以前はいつもカセットテープでデモを作って、稽古場ではそれを使っていた。しかしカセットテープは頭出しの度に巻き戻しや早送りのタイムロスがあって、稽古場で時間を無駄にした。それがCDでデモを作れるようになって、ランダムアクセスが楽になった。と同時に、公演本番中に音飛びを起こしたのである。稽古はCD、本番はテープってのは何だか理不尽である。何を信用すれば好いのか。

いまや音楽はハードディスクに入れて再生する時代である。コイツは信用しても好いのだろうか。疑り深くなっている僕には、どうしても何かが隠れているような気がしてならないのである。まあ、ともかくはiTunesに感謝している。かなりの間に亘ってまともに聴けなかった曲をまともに聴かせてくれた。その一方で、次はどんな音楽媒体が現れてくるのか不安でもある。音楽を聴き続けたいからには、僕等はそれについて行く他ないからだ。

一安心と不安が背中合わせになったいま、誰か教えて欲しい。カセットデッキを開けたいんだ。

雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

Comments

Comment Form

Trackbacks