意地でもロケハン ―アルマイトの栞 vol.218
近頃、いつも以上に酷く出不精な状態に陥ってる自分を「ロケハンへ出掛けましょう」と誘ってくれる有り難い人も居るのであって、どこへ連れ出されるのか判らないままに付いて行くと、百貨店の屋上の遊園地に辿り着き、こんな場所にポツンと存在する観覧車にトキメク自分だから、「ステキだ」と反射的にカメラを向けてしまうわけだが、それにしたって、なんで観覧車のゴンドラに「火災予防運動実施中」などと云う無粋な文言を貼り付けてしまったのかと悩まざるを得ず、9台のゴンドラと「火災予防運動実施中」の9文字の数の一致だけが理由なのであれば、「地獄の沙汰も金次第」と貼っても構わないことになる。
ともかく、せっかくの「ロケハン」に遠方まで出掛けて来たのだから、観覧車にも乗らねば損だと思い、誰も客の居ない観覧車に300円を払って乗ってグルリと一周してみたのだけれど、これが実に短い時間で、ゴンドラから眺めるべきモノを狙い定めようなどと迷っているうちに、ゴンドラは一周してしまい、釈然としない気分で観覧車を降りて振り返れば、客が誰一人として乗っていない観覧車が「火災予防運動実施中」の文字と共にグルグルと回り続けており、ことによると、これは「火災予防運動実施中」とかの標語を掲げて回る看板なのかも知れず、よそ者の自分たちは一杯食わされた可能性があり、その証拠に、屋上で遊び回る子どもたちの誰もが、観覧車に見向きもしないのである。
そもそも、この「ロケハン」は何のためのロケハンなのかと思いもするわけで、自分が理解するところでは、「ロケハン」の語は「映像などの撮影を目的として、事前に撮影現場を探し、決定すること」みたいな意味かと思われるが、この日の「ロケハン」に先立つ「映像制作の企画」なんてものは何一つ存在しないので、一般的なロケハンのように「夜景の美しい、ムードのある場所」などと云った「撮影するシーンに合わせて場所を探す」行為が成立せず、「ロケハン」だけを単独に実行していることになり、それ自体が「芸術行為」とか「パフォーマンス」ではなかろうかと思い、「純粋ロケハン」とでも称すれば、常識の破り方がダダイズムっぽくてカッコイイが、つまり、単なる遠足だ。
「ロケハンだ」と主張するために、この「ロケハン」から逆に「映像の企画」を練り、ストーリーボードを描くのも手だ。先ず、制服姿の中学生や高校生をこの屋上にエキストラで集め、彼らが騒いでいると、観覧車の中央の光る花に「894年」と電光表示が現れ、「火災予防運動実施中」の9文字がバラバラと落ち、その下から「白紙に戻そう遣唐使」の9文字が現れる。中高生たちの前に、歴史年表暗記の神が降臨したのだ。中高生が感動に震えると、観覧車の中央の花に「710年」と電光表示が輝き、「なんと立派な平城京」の9文字が現れ、回り、ゴンドラの中には輝く仏の姿が見え、高野山の胎蔵界曼荼羅かと錯覚するトリップ感に満ちた映像だが、やはり近頃、自分のアタマはドウかしてる。
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