没後に流出する ―アルマイトの栞 vol.214
うっかりと小説家になってしまった人が、うっかりと日記など綴っていると、その日記を当人の死後に出版されてしまったりするから、小説家を目指す人にとって日記の存在は要注意で、講談社文庫の『久生十蘭「従軍日記」 』の場合も、久生十蘭にしてみれば、まさか己の死後50年を経て己の日記が出版されるとは予想しなかったと思われ、しかも「文庫本」と云う、誰もが安価に入手できるカタチで日記を出版されてしまうに至ったわけだが、コトの全ては、十蘭の没後に遺品の日記を妻が原稿用紙に清書するなんて不可思議な行動に出た瞬間から、十蘭の考えもしなかった方向へと転がり始めてしまったのである。
この日記に残された内容は、太平洋戦争中の1943年に久生十蘭が海軍報道班員としてジャワ島やニューギニア島を回った際の見聞記で、羽田空港を発つ2月24日から書き始められ、福岡や台北やマニラなどへ立ち寄りつつ約十日を費やしてジャワ島のスラバヤに空路で到着し、ジャワ島の各地へ出掛けたり、ティモール島やアンボン島やニューギニア島まで足を伸ばす9月9日まで一日も途切れず書き続けられ、自分のような「日記が三日も続かない者」から見れば立派過ぎる日記なのだが、記される事柄の多くが「呑む、打つ、買う」で、その度に十蘭は「いままでの日常は怠惰と無為の日の連続であった。これからの日々は勤勉な清潔な日々であるように祈る」などと反省を記し、翌日も朝から呑む。
小説家の日記は、えてして当人の文壇での交友関係が現れやすく、たとえば芥川龍之介の全集に収録された日記を読むと、頻繁に「谷崎潤一郎と飯を食う」だとか「菊池寛を訪ねたが留守」だとか書かれ、日記に登場する人物の多くが当人と同じく世に知られた小説家ばかりだったりするけれど、『久生十蘭「従軍日記」』では滅多に「世に知られた名前」が登場せず、その一方で、出し抜けに当然のごとく「越智修君」とか「粕屋昭一君」とか、どこの誰だか判らぬ人の名前が多く登場し、それは俗に云う「一般の人」なのであって、フルネームでも素性の不明な人ばかりなのに、「佐藤君」としか記されない誰かは完全に正体不明で、ただ一つ確かなのは、十蘭を含む全員が麻雀に溺れていることだ。
搭乗予定の飛行機の出発が明後日に延期になったと聞かされては麻雀を始め、誰か一人が別の任地に出発する前夜には「送別」と称して麻雀を始め、出発するまで少し時間があると知っては麻雀を始める熱心さで、日記を読む限り十蘭は負けが多く、それが原因で「財布また軽くなる。前線行の旅費、怪しくなったには閉口す」となり、周囲から金を借り、また麻雀と酒と夜遊びを繰り返し、ニューギニアの前線でも誘われるままブリッジに興じ、とは云え戦地だから己の死を何度か覚悟するが、そこで十蘭が決意するのは「せめて借金の明細を富永氏にでも通じ、死后の始末を手紙で依頼しようと考える」で、こんな日記が文庫化されている以上、久生十蘭の書簡集の出版などを企むと、必ず十蘭に祟られる。
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