英知は中指を立てて ―アルマイトの栞 vol.211
ふとした出来心みたいな動機から買った本は、講談社文芸文庫の『折口信夫 芸能論集 』で、一応は舞台だとかに少しでも関わっているような自分なのだから、「芸能の世界」の隅の隅のギリギリの端っこをウロウロしているように思われ、それなら「折口信夫」の「芸能論」とかは読んでおかねばならないのではなかろうか、と、酷く消極的で主体性の無い動機を心に抱き、ともかく書店の棚から本を取り出してパラパラと眺め、裏表紙には「日本の英知・折口信夫の三部作、ここに堂々の完結。」と記されているけれど、せっかくの「日本の英知」の三部作なのに、初めの二作を読まずに三作目だけ買う自分は失礼だと思う。
受験生だった頃に、やはり、ふとした出来心のような気分で折口信夫の本を一冊買って読んだ遠い記憶が残っているものの、その本が中公文庫だったことしか思い出せず、本のタイトルを完全に忘却しており、ここでも自分は折口信夫に対して失礼なヤツになってしまい、申し訳ない気がして自室の書棚を探し回り、やっと発見した中公文庫は『折口信夫全集 第三巻 古代研究(民俗學篇2)』だったのだが、なぜ受験生のブンザイでソンナ本を読もうと思い立ったのか、今となっては自分でも不可解としか云いようがなく、おとなしく受験勉強だけに励んでいれば好いものを、自分の受験対策にも将来にも何ら関係の無い折口信夫の著書を読み耽るから、たくさんの不合格通知が届いたのだ、きっと。
などと云うことを書き連ねていると、ますます自分は折口信夫に対して失礼なヤツになるから、心を正して読み始めた『折口信夫 芸能論集』で、その冒頭では「小正月と節分の風習」を歌舞伎や能や狂言との関連において論じつつ、俳句などの古典文学も引用して語る「日本の英知・折口信夫」なのだが、その中の『春立つ鬼』と題した文章で折口は三首の俳句を引用し、読者としては何が説き起こされるのかと期待して次を読むと、いきなり折口は云う。「これらの句は、どうも平俗である」。そして続けざまに云う。「鼻持ちならぬ句にとれる」。そしてコメントは、「もういけない」で終わる。他人の俳句を引用しておきながら、好き放題に打ちのめしてしまう「日本の英知・折口信夫」である。
少し唖然とした気持ちで節分の話を読み進むと、折口は江戸時代の俳人・大島蓼太の句を二つ引用し、その直後に云う。「元々、月並調の元祖みたいな人であるから」。真っ向から喧嘩を売っているとしか思えぬ口ぶりは、さらに「彼の気持に俗気が見える」などと云い放ち続け、挙げ句に、節分の豆まきが世間一般に定着したことを理由に「従って俗っぽい句を作る人が多かったのであろう」と記し、これは節分に俳句を詠む全ての人々に向かって「Fuck you !」と中指を突き立てながら叫んだも同然で、折口信夫は「日本の英知」と呼ばれるよりも「国文学界のセックス・ピストルズ」とか呼ばれるべきではないかと思い、それに比べて自分の折口に対する失礼など、「パンク」と呼ぶには甘過ぎる。
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