Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

ダメなので ―アルマイトの栞 vol.205

つげ義春さんの作品を集めた新潮文庫の『無能の人・日の戯れ』には、『無能の人』全6話と6編の短編作品が収録されており、全12編の作品は共通して主人公が「注文の途絶えたマンガ家」で、それらが作者自身をモデルに描かれているらしいことは知られた話だけれど、この一冊をマンガ家志望の子どもになどは見せない方が好いと思われ、いや、考えようによっては「注文の途絶えたマンガ家」のリアルさを教えるために見せた方が好いのかもしれず、しかし、「売れないマンガ家になれば好きなだけ散歩ができて、午前中から市民プールで泳げるステキな生活だ」と、誤った夢と希望を与えかねず、キケン図書でもある。

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掲載される場所 ―アルマイトの栞 vol.204

「批評」と呼ばれるコトバが、どんな「メディア」に乗せられ流れていくのかと云う両者の関係性みたいな実態を、遠慮会釈なく、身もフタもないほどに暴いてしまった本が大澤聡さんの『批評メディア論 』で、本書の副題に『戦前期日本の論壇と文壇』と記されるとおり、取り挙げられる話題は戦前の日本国内の「批評」や「評論」の類だが、なにより本書を読んで驚くのは、戦前に国内で発行された『中央公論』とか『文藝春秋』などの各種雑誌や新聞を徹底的に読み漁って引用する大澤聡さんの資料探索の凄まじさで、この人の前にウッカリと古い雑誌など積んでおいたら、一冊残らず持って帰ってしまうのではないかと思う。

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一緒に作る人数―アルマイトの栞 vol.203

遙か遠くに見える水平線を背にして一人佇む志磨遼平さんの写真は、「ドレスコーズ」の3rdアルバム『1 』のジャケットなのだけれど、この写真が示すとおり、ドレスコーズは志磨遼平さん一人だけを残してメンバー全員が脱退してしまう事態となり、それでも当初のスケジュールを変更せずに3rdアルバムをリリースしたのだから、それは志磨遼平さん一人によるアルバム制作ではあるが、「メンバー全員脱退」の異変を知ってからズッと気が気でなかった志磨遼平ファンの自分はホッと安堵し、もし心配が長引いていたら「何か手伝えませんか?」とSNS経由で志磨遼平さんへ声を掛けてしまうところだった。

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困難なアングル ―アルマイトの栞 vol.202

どうしても花輪和一さんの絵に惹かれてしまう自分なので、新刊の短編集『呪詛 』にもシッカリと手を出すわけだが、短編集としてのタイトルに「呪詛」なんてコトバを選ぶ発想からして、やはり花輪和一さんは尋常では無いのだけれど、表紙に描かれた十一面観音の絵の上手さも尋常では無いのであって、一般に目にする仏像の絵は、たいがい正面か横から眺めたアングルで描かれていることが多いように思い、この『呪詛』の表紙の絵のように「仏像の右斜め真下からの見上げ」アングルは他に事例を思い付かず、まして十一面観音は描画の難易度が高く、そもそも人は仏像を眺めるとき、滅多に「右斜め真下から見上げ」たりしない。

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演者は一人 ―アルマイトの栞 vol.201

照明を担当して6回目の鈴木一琥さんダンス公演『3.10 10万人のことば』は本番までの残り時間も少ないのだが、毎年のように照明のアイデアで悶々とし、なにせ毎年の作品テーマは同じで、期日も同じで、会場も浅草のギャラリー・エフで、ヘタをすれば「年中行事」みたいなマンネリに陥りそうで、とは云え、照明だけが新規なことを試みてもマズイだろうから、ここらで一琥さんが「今年は踊りに『ようかい体操第一』を採り入れます」とか大胆な宣言でもしてくれれば、照明のコンセプトも「ヨーでる ヨーでる」な感じで決まりじゃないかと思うものの、それはそれで何をすれば好いのか全く不明ではある。

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