一緒に作る人数―アルマイトの栞 vol.203
遙か遠くに見える水平線を背にして一人佇む志磨遼平さんの写真は、「ドレスコーズ」の3rdアルバム『1 』のジャケットなのだけれど、この写真が示すとおり、ドレスコーズは志磨遼平さん一人だけを残してメンバー全員が脱退してしまう事態となり、それでも当初のスケジュールを変更せずに3rdアルバムをリリースしたのだから、それは志磨遼平さん一人によるアルバム制作ではあるが、「メンバー全員脱退」の異変を知ってからズッと気が気でなかった志磨遼平ファンの自分はホッと安堵し、もし心配が長引いていたら「何か手伝えませんか?」とSNS経由で志磨遼平さんへ声を掛けてしまうところだった。
いつものようにDVD付きの初回限定盤を選び、ジャケットの裏面に記された全13曲のタイトルを見て「いきなり一人きりになって13曲のアルバムを作るのは大変だったろうなあ」と志磨遼平さんの苦労に思いを馳せながら聴いた一曲目はアコースティックギターの弾き語りで、もしや全曲がアコースティックギターの弾き語りだろうかと考えたら、二曲目からはドラムもベースも入る本格的なバンド形式の楽曲になり、「各パートを支える腕利きのミュージシャン達が駆け付けたんだな、ヨカッタ」などと胸を撫で下ろしていると、驚く事実を知らされた。「ドラムも志磨遼平」。ホントに一人きりでバンドのアルバムを作ってしまったのか、この人は。それも、たった一ヶ月で。
最初から一人で始めたことならともかく、突然にメンバーがゾロゾロと脱けて一人だけになってしまった計画を実現するのは、どんな場合でも並大抵のことではなく、普通は頓挫してしまうもので、自分の知ってる事例では「照明スタッフを一人だけ残して全員が退部してしまった演劇部」がある。この状況では舞台作品など上演できるものではなく、と云うか、「演劇部」ではなく「照明部」と名称変更するのが正しいようにも思うわけだが、それでも「演劇部」の看板のまま、一人残った照明スタッフの部員は、部の備品の照明器具を分解したり改造したりして日々の活動を続けたらしく、いっそ科学部と合併したほうが好いとしか思われぬ活動内容だ。
一人で同人誌を作ってる友人も居た。これも、当初の「同人」が脱けた結果だが、一人残った友人が何本もの原稿を執筆し、掲載写真も撮り、誌面の編集は一人でMacでDTPで、版下の校正も当人が赤ペンを握り、印刷と製本だけは外注に出していたものの、その直前になると「もう明日が校了日だ、徹夜だ」と一人で騒ぎ、無事に発行すると「なんとか今号も出たよ」と一人で嬉しそうに雑誌を見せてくれ、800円で買わされたが、表紙に踊る「特集号」の文字に切なさすら覚えた。そんな自分も年一回の舞台公演を画策していた時期があり、高質なバンドのアルバムを一人で作る志磨遼平さんに遠く遠く及ばないのは、いつでも出演者やスタッフから「ユキのソロ文化祭」と揶揄しかされなかったからである。
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