Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

困難なアングル ―アルマイトの栞 vol.202

どうしても花輪和一さんの絵に惹かれてしまう自分なので、新刊の短編集『呪詛 』にもシッカリと手を出すわけだが、短編集としてのタイトルに「呪詛」なんてコトバを選ぶ発想からして、やはり花輪和一さんは尋常では無いのだけれど、表紙に描かれた十一面観音の絵の上手さも尋常では無いのであって、一般に目にする仏像の絵は、たいがい正面か横から眺めたアングルで描かれていることが多いように思い、この『呪詛』の表紙の絵のように「仏像の右斜め真下からの見上げ」アングルは他に事例を思い付かず、まして十一面観音は描画の難易度が高く、そもそも人は仏像を眺めるとき、滅多に「右斜め真下から見上げ」たりしない。

十代の頃に、なぜだか仏像の絵を好んで描いた時期があって、しかし絵のモデルは実物ではなく写真だったから、自ずと描く絵のアングルは写真と同じアングルになるので、ほとんどが真正面からのアングルになり、もし「右斜め真下から見上げ」たアングルで描きたければ、実物の安置されてる場所へ出掛けて眺める必要があり、けれども、そこまでする情熱を持って仏像を描いていたわけではないし、間違っても「信仰心」などでは決して無く、おそらく「仏像の造形ってSFっぽいよなあ」とか思って惹かれていたに過ぎず、その感覚が現在も変わらないから、仏像と円谷プロの造形が似て見えてしまうのであり、この感覚を失ったら、いきなり仏師への道を歩み始めそうだ。

いまのところ仏師など目指しそうもないのは、三ヶ月ほど前に、何を思ったのか、ガスメーターの造形にも強く惹かれてしまったからで、仕事場の玄関先には間近に見放題な感じでガスメーターが設置されているものだから、滅多に目にすることのないガスメーターの裏側まで覗いたりしていたのだが、ある日、デジカメを持って来て様々なアングルから写真を撮り、その写真や実物をモデルにガスメーターの絵を描いて嬉々としている自分を発見し、何気なく選んだ紙の面積が大きければ、延々とガス管まで描いてしまいそうな勢いだった。とは云え、そこで「そうだ、ガス会社に転職しよう!」などとは思わず、かと云って「ガスメーター泥棒」になってもマズイので、「絵描き」で踏み留まるべきだろう。

見慣れていても間近に見たことのないモノや、見慣れたモノを見慣れぬアングルから眺めることに自分の好奇心は沸き立つらしく、その一例は「Google Earthで眺める自宅の建物」だ。すると自分は、モノを極端に真上や真下から見る光景に悦びを覚える性格なのかもしれず、そう云えば幼少期に、駐車中の車の下に潜って車体を真下から眺める行為を繰り返した。車が急発進していれば、とっくにオダブツである。いま現在は、もし自宅の近所に十一面観音を安置する寺など発見してしまったら、ケータイを握って境内に入り込み、観音像を右斜め真下から見上げたポジションでコッソリと撮影する行為に及びそうだが、これは「盗撮の人」と同じタイプの振る舞いで、ふと観音さまは女性だと気付く。

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