演者は一人 ―アルマイトの栞 vol.201
照明を担当して6回目の鈴木一琥さんダンス公演『3.10 10万人のことば』は本番までの残り時間も少ないのだが、毎年のように照明のアイデアで悶々とし、なにせ毎年の作品テーマは同じで、期日も同じで、会場も浅草のギャラリー・エフで、ヘタをすれば「年中行事」みたいなマンネリに陥りそうで、とは云え、照明だけが新規なことを試みてもマズイだろうから、ここらで一琥さんが「今年は踊りに『ようかい体操第一』を採り入れます」とか大胆な宣言でもしてくれれば、照明のコンセプトも「ヨーでる ヨーでる」な感じで決まりじゃないかと思うものの、それはそれで何をすれば好いのか全く不明ではある。
舞台の照明のことで悩み始めると、自分の日常生活でも「照明ノイローゼ」が発症し、横断歩道で信号待ちをしている時など、信号が青に変わった瞬間に「そのキッカケはダメ!」とかワケの判らぬ考えがアタマに浮かび、横断歩道を渡るのを忘れてボーッと立ち尽くしそうになり、その思考をウッカリと声に出して叫ぶようなことにでもなれば、間違い無く不審者の類で、たまたま一緒に信号待ちをしている見ず知らずの人から通報されてしまったり、もし下校中の小学生に目撃されたなら、その子が親に伝え、親からPTAだとかに連絡が回って、立派な札付きの不審者に認定されてしまうから、ともかく自宅の近所の交通信号に対して「キッカケのダメ出し」は慎むべきだ。
そうなると、安全なのは自宅の中くらいで、つい先日も自室の窓のブラインドから漏れる陽光の様子が興味深いことに気付き、ブラインドの羽を様々に調整しながら観察したのだが、太陽の位置は刻々と変化しているわけだから、ブラインドの羽を同じ状態に戻しても、壁や床に映る光の様子は同じ状態には戻らず変化を続け、「カッコイイじゃないか、太陽」と思い、誰か「演者」が居てくれたら嬉しいと考えて、数年前に学生から貰ったピングーのフィギュアを床に立たせ、ブラインドの羽を開けたり閉じたりしながら光の様子とピングーの観察を続けて一人で長時間を過ごしてしまい、記憶は定かでないけれど、一度くらいは声を出して笑った可能性もあり、やっぱり自分はアブナイかもしれない。
こんな実験を続けたところで『3.10』の照明には役に立ちそうもなく、いくら一琥さんに「夕日に映えるピングーがシリアスに見えるんだよ」と訴えても無視されるに決まっており、けれどもカッコイイ明かりではあったし、カラーフィルターの番号なら22とか24のアンバー系あたりでピングーはシリアスに見えるに違いないが、先ず『3.10』にピングーは出演しないのだと自分に強く云い聴かせねばならず、出演するのは一琥さん一人で、だが、たった一人の演者の一琥さんがエフでの稽古中に「僕も照明の様子を見たい」と頻繁に希望するから、照明チェックの舞台にピングーのフィギュアを立たせ、一琥さんに「OK?」と見せるのはどうか。そして本番の舞台上にピングーを置き忘れてたりする。
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