性懲りもなく、また ―アルマイトの栞 vol.200
文学全集を揃える趣味は全く無いけれど、河出書房新社が刊行を開始した『日本文学全集』の第一回配本となる池澤夏樹訳『古事記 』に手を出してしまったから、この先が不安で、刊行予定を見ると、町田康訳『宇治拾遺物語』だの、いとうせいこう訳『曾根崎心中』だの、円城塔訳『雨月物語』だの、川上未映子訳『たけくらべ』だの、自分の興味を惹かないわけがなく、だが延々と追い掛け続けたら全30巻にも及び、訳者を選択基準にすれば「全巻購入」の危険を回避できそうなのに、文学全集に付きモノの「月報」の執筆者まで誘惑のタネとなり、『古事記』の月報が京極夏彦さんだったりするから、もうイケナイ。
そもそも、すでに『古事記』は自室の書棚に文庫本が転がっており、それも一冊ではなく、角川文庫版や岩波文庫版、講談社学術文庫版など、自分でも記憶がハッキリしないほど何度も『古事記』を買い続け、なぜソンナ不可解なことになったかと云えば、読み通せずに挫折を繰り返したのだ。高校時代に初めて角川文庫の『古事記』を買い、読み始めたものの途中で放り出し、その後は、「現代語訳」だとか「口語訳」だとかの『古事記』を書店で目にするたびに、「これは読みやすいのではないか」と思って買っては挫折し、また別の版を見つけては同じことの繰り返しで、そうして幾星霜の結果は、「古事記コレクターみたいな本棚」である。
読み通せずに挫折した本は『古事記』に限らない。ときには漫画であろうと挫折することがあり、数年前の話だが、『もやしもん』は単行本が出るたびに読んでいたのに、気付けば挫折していて、思うに、「オリゼー」とか「セレビシエ」とかの菌の名前の洪水に溺れ沈んだのだ。岩波文庫『ドン・キホーテ』も挫折し、これは「ドゥルシネーア・デル・トボーソ」とか「ヒネス・デ・パサモンテ」とか云う奇っ怪な人名の群れに撃墜された気がし、どうやら固有名詞を始めとする名詞群が面妖であるほど自分の読書は挫折する傾向にあり、たぶん「スワイプでタイムラプスモードを選び、撮影ボタンをタップすれば、」とか書かれたスマホのトリセツに挫折する人は、同じ気分を味わっている。
そう考えると『古事記』も、「登場キャラ」の名前が挫折の原因らしく、なにせ序文のうちから「日子波限建鵜草葺不合尊」などと云う暴走族の落書きかと思う字面の名前のキャラが現れ、漢字の横に「ヒコナギサタケウガヤフキアヘズのミコト」とルビが打たれてはいるが、こんな名前のキャラが一人や二人ではなく、多数登場である。いっそ、台本か脚本の類だと思えば読み通せるだろうか。台本だからこそ読んだ難解な戯曲は数多く、だから今回は、「前衛実験不条理演劇『古事記』」とか云う舞台の美術か照明を頼まれたのだとイメージし、これなら絶対に挫折しないと自分を鼓舞するものの、もしや自分は「今年こそ『古事記』をマスターする!」みたいな宣言ばかりを繰り返す馬鹿者ではないのか。
Comments