Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

同好かどうか ―アルマイトの栞 vol.199

友人や初対面の舞踏家と喋っていたら、自分を含めた三人全員が「高校生の時に稲垣足穂にハマった」と共通の過去を告白し、珍しいことだと驚き合ったものの、舞踏だとかの世界に踏み込むような者ばかりが顔を揃えたのだから、「さもありなん」と考えるべきで、お互いに驚き合ったり喜ぶのは、高校時代に共通の趣味の友人を見付けられなかったトラウマのせいだと思う。いま自分が所有してる足穂作品は、ちくま文庫の『一千一秒物語 』を第1巻とする『稲垣足穂コレクション』だが、高校時代は別の版を所有し、共通の趣味の友人を作ろうと同級生に貸したら本は消え、同好の友人も出来ず、それはそれは悲しい話だ。

そんな経験が災いしたのか、2005年に『稲垣足穂コレクション』の刊行が始まったと同時に全8巻を集めたけれども、以前のように熱中して読むでもなく、書棚に積みっ放しも同然だったのを、この機会にキチンと読みなおしたい気分になって書棚を漁り、全8巻が揃っていることから確認した。もう本を紛失させたF君への遺恨など雲散霧消している。つくづく「オトナになったなあ」などと思いながら開く第1巻『一千一秒物語』には、表題作を含む33編が収録されており、その半分以上が1923年(大正12)から1926年(大正15)に発表された作品で、1900年生まれの足穂は執筆当時に23歳とかだから、『一千一秒物語』などと題された卒業論文だったりする可能性も、もし文芸学科なら、あり得る。

卒論にせよ創作にせよ、足穂の文章は「ボクの大好きなモノを散りばめました」だとしか思えず、具体例としては、「シガレット」「マッチ」「チョコレート」「ガス燈」「電燈」「ブリキの玩具」「真鍮」「ビール瓶」「歯車」「プロペラ」「飛行機」「自動車」「モーターサイクル」「路面電車」「鉛筆」「ボール紙」「映画」「フィルム」などなどで、どんな名称で呼ぶか悩む集合だが、「この種のモノ」を偏愛する人は現在も多く、かなり偏見に満ちた視点ではあるけれど、「下北沢の雑貨屋と客」が足穂と同じ趣味の人々のような気がし、自分も「その種のモノ」は嫌いではないが、実際に雑貨屋の店頭を見ると、カラッポの古めかしいビール瓶に値札が貼られ、それを買ってドウしろと云うのか。

たぶん「アンティークなモノが大好き」と公言するような人が足穂の作品や足穂的なモノに惹かれやすく、しかし冷静に考えれば、足穂が「ボール紙製のユートピアに豆電燈を点してみる」と書いたのは大正時代であり、その時点で「電燈」にせよ足穂が偏愛したモノは、その時代の先端技術の産物ばかりで、足穂本人にアンティーク趣味は全く無く、むしろ真新しい技術や製品に詩情を感じてしまう人物なのだと気付き、これが2015年現在なら、先ずLEDの光に詩情を覚えねばならず、ペットボトルにロマンを感じ、コピー用紙を愛撫し、映像データ用のSDカードを見て散文を書いてしまい、すると、足穂を現代に連れて来ればビックカメラで大喜びに違いなく、友達ですよ、この人は。

雑記 | comments (0) | trackbacks (0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

Comments

Comment Form

Trackbacks