つい先日、いとうせいこうさんの話を伺う機会があったのだが、そこで衝撃的なことを知った。「昔のドンカマは揺れている」。事情のわからない人には「何を云ってるんだ」と怪訝な顔をされそうな一言である。「ドンカマ」とは音楽を演奏したりレコーディングする際にガイドとなるリズム音のことで、リズムマシンなどで機械的に鳴らしている。「デジタルなメトロノーム」とでも云えば解りやすいだろうか。ちなみに「ドンカマ」は'60年代にコルグが製造販売していたリズムボックスの商品名「DONCA MATIC」が語源だった筈で、それが業界用語になった。そのドンカマが「昔は揺れてた」らしい。てっきりデジタルなジャストビートだとばかりに思っていたのだが、そうではなかったのである。
あるところから原稿を頼まれて、劇団黒テントの『新装大回転玉手箱』テント劇場公演の話題を書いた。原稿を頼まれたのは10月始めで、締め切りは10月末だった。「4,800字から6,000字くらいでお願いします」とのことだ。「締め切りまで一ヶ月はある。余裕だ」と思ったのがいけなかった。原稿を頼まれて3日目くらいに少し書き始めた。さほど悩むでもなく書き始め、800字くらい書いたところで「これなら大丈夫。すぐ終わる」と思った。これがさらにいけなかったのだ。たかをくくってそこで原稿を放ったらかしにしてしまい、気がついたら10月の最終週になっていた。
なんでもいいから電車の中で読むものをと思って自宅の書棚から持って出たのがなぜか『日本霊異記』だった。いつどこで買ったのかは憶えていないが、「平凡社ライブラリー」の文庫になっている現代語訳である。「やさしい現代語訳」とか、そんなふれ込みに惹かれたのかどうかもはっきりしないけれど、学生の頃に新潮社の「日本古典集成」シリーズで校注付きを買ったのは確かなので、やっぱり「やさしい」に惑わされて現代語訳を買ったのだと思う。「やさしい現代語訳」を謳っている古典は随分と多いけれど、ここで使われている「やさしい」はクセ者かもしれない。「現代語訳だからやさしいよね」は嘘だと思う。
朗読劇を控えた連休の初日に劇作家の宮沢章夫さんに会ったのだった。本を数冊お貸ししていたのを返して頂いたのである。1968年に澁澤龍彦の責任編集で刊行された雑誌『血と薔薇』の復刻版と『ユリイカ』や『太陽』などのバックナンバーで、いずれも特集テーマは「澁澤龍彦」。宮沢さんが早大で担当している授業「サブカルチャー論」の資料としてお貸ししてからたぶん二年が過ぎ、今度は僕の方で必要になったので返して頂いたのだが、なにせ宮沢章夫さんは図書館で借りた本を30年間返さなかった人である。一冊の漏れも無く返却されたのは奇跡ではないか。ちなみに、宮沢さんは30年後に図書館へ本を返しに行ったら、図書館が無くなっていたそうだ。こうした場合の本の扱いはどうなるのでしょうか。