Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

揺れる時間 ―アルマイトの栞 vol.68

091129.jpg つい先日、いとうせいこうさんの話を伺う機会があったのだが、そこで衝撃的なことを知った。「昔のドンカマは揺れている」。事情のわからない人には「何を云ってるんだ」と怪訝な顔をされそうな一言である。「ドンカマ」とは音楽を演奏したりレコーディングする際にガイドとなるリズム音のことで、リズムマシンなどで機械的に鳴らしている。「デジタルなメトロノーム」とでも云えば解りやすいだろうか。ちなみに「ドンカマ」は'60年代にコルグが製造販売していたリズムボックスの商品名「DONCA MATIC」が語源だった筈で、それが業界用語になった。そのドンカマが「昔は揺れてた」らしい。てっきりデジタルなジャストビートだとばかりに思っていたのだが、そうではなかったのである。

いとうせいこうさんが'80年代に作ったラップ『東京ブロンクス』などをリミックスするために、当時の音源をサンプリングしていて気付いたそうだ。当時の音源をMacでサンプリングしていくと、タイムコードが前後にずれる。当時のドンカマが「揺れて」いるからそうなるわけで、「ちっともジャストじゃない」ことになるらしい。それはつまり、かつてのドンカマの同期信号が不安定だったと云うことだ、たぶん。

話を聴いたときは驚いたが、冷静に考えてみれば当然のことかもしれない。この20年余りの間に機材の技術的な精度が上がったことには何の不思議もなく、「驚く」のは「デジタルなリズムが正確」との思い込みがあるからだ。そして、20年前の時点では「あのドンカマ」で充分に「正確」だったのである。「物差しの精度が上がった」。それを見落としているから「驚く」になるのだろう。

「時間」も含めて、人間の文化の根底には、いつでも「物差しの精度を高める」欲求と「物差しを共有する」欲求があるように思った。たった一人で高精度な物差しを作るだけでは「頑張ったね、おまえ」で終わってしまうわけで、重要なのは、その物差しを大勢で共有することではないか。共有していなければ世の中は混乱する。同じ物差しを持って集まらないとピラミッドを造るなんてことは出来ない相談だ。そして尺度や暦を統一し、普及させることが権力を握ることにも繋がったわけで、古代の王国や日本の太閤検地はその一例である。いとうさんの話を聴いて、そんな壮大なことを考えてしまった。

20年前は「あのドンカマ」の精度でも、それを「物差し」としてみんなが共有してしまったから、それはそれで音楽における文化圏のようなものが成立していたのである。いまから20年経ったら、また「あの頃のドンカマはずれてる。それ以前はもっと酷い」などと誰かが口にするかもしれない。20年後にはまた別の「物差し」が共有されているだろうし、それはもう異なる文化圏である。

そもそも、ドンカマの精度をどこまで高めようとしているのか。現在の国際的な度量衡のシステムでは「1秒」の長さを原子時計によって定めているけれど、それを目指したりするのだろうか。「弊社の新しいリズムマシンにはセシウムの原子時計が搭載されています。誤差はなんと3,000万年で1秒」などとメーカの担当者が口にしても、どうして好いのか悩むところだ。「なんか、ノリが悪いっすよね、ウチら的には」。セシウムかたなしである。すると、'80年代のリズムマシンは「ノって」いたのか。「ノリ」は時計の問題ではなく、身体の問題だ。「揺れてたから20年前のテクノは違和感が無くて気持ち好かったのかもしれないよね」。いとうせいこうさんはそう云った。

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