喫茶店などで、たまたま隣に座った未知の人たちの会話が無闇に面白かったりして、口調もそのままに書き残したい衝動に駆られるのだが、岸政彦さんの『街の人生 』は、そんな衝動に駆られる人が本を出版した結果だ。取材依頼をしたうえでの聴き書きとは云え、やはり未知の人の語りは、口調まで含めて面白く、ましてや、語っている人が「西成のおっちゃん」だったりすれば、放っておいても話題は興味深いことになるわけで、おっちゃんは西成暴動を回想して語る。「線路の石があるやろ。ひとつ五〇〇〇なら五〇〇〇円ってな。道端で。まとめて買っとんやろ。それをな。それをまた投げとんのや」。経済学者が困惑しそうだ。
つげ義春さんの『無能の人』などに描かれる風景が調布あたりだろうと察しは付いていたし、作者自身をモデルとした作品も多いので、つげ義春さんが調布市内の団地住まいであろうことも見当は付き、それは神代団地ではないかと推測し、その話を映像家の大津伴絵さんに喋ったら、「いや、もっと市の南側で多摩川沿いの染地にある多摩川団地」と即答され、のみならず、つげ義春さんらしき主人公が作中で散歩するコースの詳細も解説してくれ、「僕、『つげ義春を旅する』とか持ってるんで貸しますよ」と、文献まで教示され、卒論の指導をされてるダメ学生みたいな気分だ。「詳しい人」の前では、誰もがダメ学生である。
「音楽はジンタっぽい曲がいいなあ」と頼まれたような気もすれば、それは依頼ではなく、単なる独り言だった可能性もあるのだが、いずれにせよ、一年前の雑談めいた場で耳にしたことだから、時間の経過する中で「ジンタ」が「トルコの軍楽」に置き換わったとしても、「なんか似たようなものじゃないか」と暴論を展開して切り抜けられるような気がしたもので、『オスマンの響き~トルコの軍楽』のCDを数年ぶりに聴き、「似たようなものじゃないか」は必ずしも暴論ではないように思うものの、この音源のためにオスマン・トルコ軍楽隊の演奏を'70年代に現地録音した小泉文夫さんのような研究者からは激怒される。