Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

どこまでも入力 ーアルマイトの栞 vol.185

喫茶店などで、たまたま隣に座った未知の人たちの会話が無闇に面白かったりして、口調もそのままに書き残したい衝動に駆られるのだが、岸政彦さんの『街の人生 』は、そんな衝動に駆られる人が本を出版した結果だ。取材依頼をしたうえでの聴き書きとは云え、やはり未知の人の語りは、口調まで含めて面白く、ましてや、語っている人が「西成のおっちゃん」だったりすれば、放っておいても話題は興味深いことになるわけで、おっちゃんは西成暴動を回想して語る。「線路の石があるやろ。ひとつ五〇〇〇なら五〇〇〇円ってな。道端で。まとめて買っとんやろ。それをな。それをまた投げとんのや」。経済学者が困惑しそうだ。

おっちゃんは「そんなん好きやからな(笑)ワーワーいうてんの」と語り、つい愉しそうだと思う自分も馬鹿者ではあるけれど、そもそも、やはり、長時間に及ぶ他人の語りを採集しては、口調もそのままに書き残す人だって、マトモではないと思う。録音した語りを文字にする、いわゆる「テープ起こし」と呼ばれる作業に、どれだけの時間を費やしたのか。いや、時間など全く問題ではないのかもしれず、自分も学生の頃、なぜか頻繁にテープ起こしの作業を請け負った時期があり、延々と再生音をイヤフォンで聴きながらパチパチと文字を入力する作業は、どこかの時点でアタマがハイな状態に陥って、やめられなくなる。テープ起こしなど面倒で嫌いなのに、いざ始めると、不可解な快楽に変じてしまう。

たぶん、最もハイな状態に陥ったテープ起こしの経験は、出席者6名の座談会で、司会の1名を加えた総勢7名が三時間近くも喋り続け、その録音をイヤフォンで聴きっ放しにしながらパチパチパチパチとキーボードを叩き続けるうちに、ほとんどトランス状態と呼んでも構わない奇態な意識変容の症状が現れ、やっとテープ起こしの作業が終わっても一ヶ月ほどの間、耳から人の声が入ると両手の指を動かしそうになり、電車に乗ると車内アナウンスの度にカバンの上で両手の指が動いてしまい、挙げ句の果てに「もっと長いアナウンスをしてくれないかなあ」などと求める気持ちの沸き起こる始末で、どう考えても禁断症状の類である。

そんな禁断症状も克服したとばかり思い込んでいた自分なのだが、先日、珈琲ショップで斜め向かい側の席に座った女子大生らしい二人が「体育の選択ってー、夏合宿のテニスが楽じゃね?」「蚊とかさー、多くなーい?」「あー、多そー、虫、いろんな意味で」と急に口走るものだから、つい、その会話を携帯のメール画面に入力してしまい、知人へ送信し、と云うことは、今でも禁断症状が治まっていないどころか、いつの間にか「携帯でテープ起こし」みたいな症状へと悪化だ。しかも、これは「依頼されたテープ起こし」ではなく、ついつい携帯に入力してしまう重症例である。そのうえ一方的に知人や友人へ送信する迷惑な行為まで伴い、せめて、岸政彦さんとメル友になるべきではないか。

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