Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

気になる他人 ―アルマイトの栞 vol.209

様々な職業や経歴を持つ人々の「語り」を聴き集めて著書を出し続けている社会学者の岸政彦さんの最新刊『断片的なものの社会学 』は、やはり「路上でギターを弾く80歳のおっちゃん」だとか「香港の刑務所で10年を過ごした日本人の元・ヤクザ」だとか、相当に様々過ぎる人々から当人の「生活史」を聴き、それらの「語り」をそのままの口調で文字に記すスタイルだけれど、本書で岸政彦さん本人が告白するところによれば、「語りを聴く」のみならず、ネットを徘徊しては未知の人々のブログやらTwitterを読んで回ることにも耽溺しているのだそうで、取材対象の誰よりも、先ず岸政彦さん本人が最も不可思議な人だ。

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どこなのか ―アルマイトの栞 vol.208

マーティン・デニーは「南国の楽園」をコンセプトにして音楽を作り続けた人だから、アルバム『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー 』だとかのジャケットは、誰の目にも「南国っぽい」と映るものの、そもそも「南国っぽい」の「南国」とはどこなのかと首を傾げ、ジャケットの女性はアメリカあたりの人だとしか思えず、ことによると彼女はどこかの南国へ家出して来た少女で、「ちょっと親とかムカついたんでー、出て来ちゃってー、ここでコスプレとかしてて超たのしいわけー」が真相だったりするのかもしれず、そんな少女たちの集まる南国でマーティン・デニーはスカウト行為もしてやしないか。

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2.5へ近付く ―アルマイトの栞 vol.207

マンガやアニメやゲームを原作とする舞台の公演が増えていることに気付いたのは、たぶん2003年頃なのだが、自分とは接点の少ない公演ジャンルなのか、そのジャンルの動向をあまり知らないままボンヤリと過ごし、「2.5次元」と呼ばれる公演ジャンルなのだと漠然と知って、「それは原作ファンが喜ぶだろう」とか思っていたら、いきなり雑誌ユリイカが今年4月の臨時増刊号で『2.5次元 2次元から立ちあがる新たなエンターテインメント』なんて特集を組むものだから、どうもタダならぬ盛り上がりぶりのジャンルらしいと今さら気付く酷いノロマの自分で、1938年の小説など読み耽って喜んでいる場合ではない。

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この玉川上水 ―アルマイトの栞 vol.206

「この玉川上水の中に はいらないで ください。」と書かれた看板が存在するからには、どこかに入っても構わない「その玉川上水」だとか、入っても構わないけれど泳いではいけない「あの玉川上水」だとかの様々な「玉川上水」が存在するのではないか。それとも、この看板の文言は、目の前の水の流れが「神田上水」でもなければ「善福寺川」でもなく、他ならぬ「これこそ玉川上水だ」と、それとなく強調しているのかもしれず、誰かが書き加えた「学生マナーよく」の一文は、この文言が近隣の学生への注意だと補足しているわけだが、近隣には武蔵野美術大学しかないので、ムサ美の学生が玉川上水に入りたがるのだ。

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ダメなので ―アルマイトの栞 vol.205

つげ義春さんの作品を集めた新潮文庫の『無能の人・日の戯れ』には、『無能の人』全6話と6編の短編作品が収録されており、全12編の作品は共通して主人公が「注文の途絶えたマンガ家」で、それらが作者自身をモデルに描かれているらしいことは知られた話だけれど、この一冊をマンガ家志望の子どもになどは見せない方が好いと思われ、いや、考えようによっては「注文の途絶えたマンガ家」のリアルさを教えるために見せた方が好いのかもしれず、しかし、「売れないマンガ家になれば好きなだけ散歩ができて、午前中から市民プールで泳げるステキな生活だ」と、誤った夢と希望を与えかねず、キケン図書でもある。

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