この玉川上水 ―アルマイトの栞 vol.206
「この玉川上水の中に はいらないで ください。」と書かれた看板が存在するからには、どこかに入っても構わない「その玉川上水」だとか、入っても構わないけれど泳いではいけない「あの玉川上水」だとかの様々な「玉川上水」が存在するのではないか。それとも、この看板の文言は、目の前の水の流れが「神田上水」でもなければ「善福寺川」でもなく、他ならぬ「これこそ玉川上水だ」と、それとなく強調しているのかもしれず、誰かが書き加えた「学生マナーよく」の一文は、この文言が近隣の学生への注意だと補足しているわけだが、近隣には武蔵野美術大学しかないので、ムサ美の学生が玉川上水に入りたがるのだ。
いずれにせよ、この文言に漂う奇妙な「自意識の過剰さ」と「玉川上水」から連想するのは「太宰治」で、この文言は太宰治自身が「玉川上水に入水して最期を遂げるのは俺の独創だからな、マネすんなよ」と後世へ残したメッセージだったりする可能性もあり、だとすれば、たしかに美大生には要注意な者の居る確率が高そうで、各学年に一人ずつくらいは、課題作品を制作する下宿の部屋で「富士には月見草がよく似合ふ」とか呟いてたりする者が居て、そんな者たちが玉川上水の近辺に暮らしているのはキケン極まりないから、看板の文言の末尾に「東京都」の三文字まで加え、行政も懸念している姿勢をPRしたつもりだろうが、きっと「東京都」の三文字の下には「太宰治」の三文字が隠れている。
メッセージの発信者が「東京都」なのと「太宰治」なのとでは、あきらかに「太宰治」としておくほうが、「富士には月見草がよく似合ふ」などと呟いている美大生に対してメッセージの効力を確実に高めるから、やはり「東京都」の三文字を紙ヤスリで削り落として「太宰治」の三文字をハッキリと見える状態へ戻すべきで、ムサ美から紙ヤスリを調達し、看板の清掃を装って「東京都」の三文字を削る作業に着手したいと思うものの、「東京都」の三文字の下から「太宰治」の三文字が現れる確実な保証は無いのであって、慎重に慎重に紙ヤスリを掛けた結果、思いがけずに現れた三文字が「秋元康」だったら、事態は一変してしまう。
なにせ、すでに「乃木坂」を手掛けた人の名前だ。彼が次に画策している新ユニットは「玉川上水」に違いなく、すると「この玉川上水の中に はいらないで ください。」とは、とっくに1期生のメンバーは決まって、これ以上のメンバー補充の予定が無いことを告げており、「東京都」の偽装表記は、新ユニット「玉川上水」が東京五輪の開会式とかに絡んでいることを匂わせ、そんな極秘プロジェクトの存在を鋭敏にも察知したムサ美の学生が、学内の他の学生たちに向けて「学生マナーよく」と書き加え、それは当然ながら握手会を念頭に置いた注意喚起かと思われるのだが、全てが一人の学生の邪推だったなら、「東京都」の三文字を削ると「ハズレ」の三文字が現れる、この玉川上水は。
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