気になる他人 ―アルマイトの栞 vol.209
様々な職業や経歴を持つ人々の「語り」を聴き集めて著書を出し続けている社会学者の岸政彦さんの最新刊『断片的なものの社会学 』は、やはり「路上でギターを弾く80歳のおっちゃん」だとか「香港の刑務所で10年を過ごした日本人の元・ヤクザ」だとか、相当に様々過ぎる人々から当人の「生活史」を聴き、それらの「語り」をそのままの口調で文字に記すスタイルだけれど、本書で岸政彦さん本人が告白するところによれば、「語りを聴く」のみならず、ネットを徘徊しては未知の人々のブログやらTwitterを読んで回ることにも耽溺しているのだそうで、取材対象の誰よりも、先ず岸政彦さん本人が最も不可思議な人だ。
そして岸政彦さんが惹き付けられる未知の人々のブログやTwitterのうち、「ある種の美しさ」を感じられるものが「五年も更新されていない」ブログだったりするそうで、それを岸さんは「浜辺で朽ち果てた流木のような」美しさと感じ、岸さんによれば、ブログのアカウントを取得するなり「マックのテキサスバーガーまじヤバい」とだけ記したきり3年の経つ人が居るらしく、それは岸さんでなくとも、その人の消息が気になるが、自分にも同様に気になる他人のブログが存在し、それは2年前の12月末に、いきなり「年末なので人生への覚悟を書きます」と記したまま「流木」になってしまったブログで、年末だからとヘンに気合いを入れるブログは「流木」になりやすいらしい。
音声であれネット上の文字であれ、未知の他人の「語り」に注意を向けてしまう傾向は、岸政彦さんに遠く及ばないものの自分にも覚えがあるわけで、頼まれた仕事の一環で覗いているTwitterのタイムライン上には、日がな一日中に亘って連日連夜ズッとゲームの話を呟いている人が居て、ゲームに疎い自分には全く意味不明の文言ばかりが並んでいるのだが、その意味不明さにハマってしまって、つい熟読してしまい、しかし、冷静に考えて、この人は何をして暮らしを立てているのかが不明なのであって、どこの誰だか知らないけれども、「きちんと食事はしてるだろうか」とか心配にもなろうと云うもので、そのうち「ところで、お米は足りてますか?」などと自分からDMを送ってしまいそうである。
未知の他人の「語り」が気になる「病」は、合併症のように、未知の他人の仕草だとかの「行為」が気になる「病」をもたらし、岸さんも該当するかは知らないけれど、自分の場合は珈琲ショップのような場所でボンヤリと煙草を吸っている時に他人の「行為」が気になり、つい先日は一人の女性が狭いテーブルの上で千羽鶴を折っていたのだが、紙を折るたびに指を舐めるので、どんな事情か知らないものの、「その千羽鶴は頂きたくないなあ」と思っていると、自分の隣席の見知らぬ男性が、出し抜けに自分へ声を掛けてきた。「こんな暑い日にホットを飲んでるのはボクとキミだけだね」。同病の人だと思いたい。間違ってもナンパであって欲しくないと願う、自分が「気にされた」瞬間なのだった。
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