Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

必需品を並べる ―アルマイトの栞 vol.181

失踪してホームレス生活をしては数ヶ月後に保護されることを繰り返した吾妻ひでおさんは、その体験を『失踪日記 』として描いているが、これを読むと、東京では、どうにか飢えもせずに人は生きていけるものなのだと知らされる。11月から2月までの季節を雑木林の中で、テントさえ張ることもせず、かなり凍えてはいるものの、どうにか飢えずに寝起きしているどころか、どうにか煙草も吸い、どうにか酒すら呑み、無事なのである。いや、これを「無事」と呼ぶのかとは思うが。ともかく、失踪するならば、場所は東京都内に限定すべきだ。そして忘れてならないのは、ハサミとカッターとライターを持って出ること。

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大きな見落とし ―アルマイトの栞 vol.180

目からウロコが落ちたと云うか、愕然としたと云うか、まあ、ともかく「そうだったのか」と唖然とする他なかったのは、吉田戦車さんの『おかゆネコ 1 』の第13話である。喋るうえに、様々な粥を作っては飼い主たちに振る舞うネコが主人公なのだが、その第13話は「芋粥」だ。芥川龍之介の『芋粥』に描写される芋粥を作るわけで、詳細に記された『おかゆネコ』のレシピを見て、いまさらながら「そうだったのか」と、まるで宇宙の真理でも啓示された者のように慄然とした理由は、自分が芥川の『芋粥』を十代の頃から何度も読んだにもかかわらず、重要な事実を見落としていたからだ。芋粥には、米が入っていない。

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頼れぬ記憶 ―アルマイトの栞 vol.179

自分の描きたい絵を、好き勝手に気の向いた時だけ描いて生きていければ、それ以上の幸福はないと思っており、それで自分の人生は充分なのだが、現実とは甘美なものではないらしく、「ひょっとこ踊りの絵を明日中に」などと頼まれる。よりによって「ひょっとこ」である。記憶だけを頼りに描くと、ナンシー関さんが雑誌の読者投稿企画として主宰した『記憶スケッチアカデミー』の投稿みたいな絵になる。「お題:にわとり」の回では、四本足のニワトリを描いてしまう投稿者が続出し、人の記憶とは、そんなものらしいが、「ひょっとこ踊り」は更に難しい。なにせ、身近に「ひょっとこ踊りの人」が居ないのだから。

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時間が経つ ―アルマイトの栞 vol.178

ベスト盤のアルバムを買うのは、いったい何年ぶりだろう。と、自分でも判らないことを他人に問うても判るわけはないのだが。ともかく、買ってしまったのだ、「毛皮のマリーズ」のベスト盤『MARIES MANIA 』を。しかも、初回限定盤を狙って先行予約までする、自分でも希有な行動だ。初回限定盤にはDVDが同封され、二枚組のCDと合わせて全42曲の収録となり、これらを順繰りに聴いたり視たり、ときには部分的に聴いたり視たりなどしておれば、アッと云う間に三時間くらいは経過し、時計を目にしては驚き、竜宮城に居るのかと思いこそすれ、「私は 人生複雑骨折」などと唄う曲が流れるのは、竜宮城なのか?。

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調べもの迷宮 ―アルマイトの栞 vol.177

ほんの5秒ほど途絶えた雑談を、唐突に「19世紀のクリミア戦争は」と、前後の脈略の無い話題に変える知人が居て、ナニゴトかと思い、しかし彼の口から「ボスフォラス海峡の」と発せられたとき、自分のアタマには小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』が現れてしまい、それは物語の冒頭の数行目に「ボスフォラス以東に只一つしかないと云われる降矢木家の建物が」と書かれるからで、自分が初めて「ボスフォラス」の地名を知ったのは『黒死館殺人事件』だったゆえに、自分にとっては「ボスフォラス=黒死館殺人事件」なのであって、思い出したからには再読したい衝動に駆られ、知人の話が、申し訳無いことに、聞こえなくなった。

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