Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

頼れぬ記憶 ―アルマイトの栞 vol.179

自分の描きたい絵を、好き勝手に気の向いた時だけ描いて生きていければ、それ以上の幸福はないと思っており、それで自分の人生は充分なのだが、現実とは甘美なものではないらしく、「ひょっとこ踊りの絵を明日中に」などと頼まれる。よりによって「ひょっとこ」である。記憶だけを頼りに描くと、ナンシー関さんが雑誌の読者投稿企画として主宰した『記憶スケッチアカデミー』の投稿みたいな絵になる。「お題:にわとり」の回では、四本足のニワトリを描いてしまう投稿者が続出し、人の記憶とは、そんなものらしいが、「ひょっとこ踊り」は更に難しい。なにせ、身近に「ひょっとこ踊りの人」が居ないのだから。

絵の〆切りが「明日中に」となると、ひょっとこ踊りの人を探して知り合いになる時間は無さそうで、仕事場の近所で「ひょっとこde街コン」とか開催されていれば、スケッチブックを持って出向くのだが、せっかく出向いても、ドレスコードが「ひょっとこ」かもしれず、気軽にブラッと訪れなどすると、自分は入場NGの仲間外れにされる。ひょっとこ達から冷たい視線や嘲笑を浴びて仲間外れにされるのは、酷いトラウマになるような気がし、トラウマになると判っている場所へ、わざわざ出向くことはないと思う。そして結局のところ、YouTubeに大量の「ひょっとこ踊り」を見付けるに至ったのだが、なんだ、この大量さは。まさか、大流行してるのではあるまいな。

それでもって、目うつりしてしまったのだった、ひょっとこ踊りに。「どれがいいかなあ」などと独り言を呟き、ひょっとこ踊りを選り好みしたのは、たぶん生まれて初めてで、けれども、何を基準に選択すべきなのか。ひょっとこ踊りが大好きな人に助言を求めたなら、教えてくれるかもしれない。「先ず、ステップです」。フィギュアスケートみたいじゃないか。すると次は「ジャンプの高さ」だ。そして「メンタル面でも大きく成長です」とかコメントすれば好いのかと思うものの、自分でも何を云ってるのかサッパリ判らないわけである。ともかくYouTubeから、ひょっとこ踊りの人を4名ほど選抜し、モデルにして絵を描いた。「記憶スケッチ」だったら大反則で、ナンシー関さんに罵倒される。

いや、読者投稿の本番ではないから、カンニングではない。予想問題の練習だ。美大を目指す受験生が予備校で取り組む想定デッサンのトレーニングと同じで、「今年のムサ美は『あなたの記憶するラーメンと餃子で幾何学図形を構成して描きなさい』だった」と、驚愕の過去問を、受験生は何度も描かされる。いつ、自分も「ひょっとこ踊りをモチーフにしたカプチーノが注がれつつあるカップを描きなさい」などと難問を出されるかしれず、それが試験だとかナンシー関さんによる選評だとかの、人生の一大事なら、「ひょっとこ踊り」の描画は必修だが、課題が「ひょっとこ踊りをするニワトリ」だと青ざめる。「ヤマが外れた」と取り乱し、それで四本足のニワトリを描いたりするんだ、きっと。

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