必需品を並べる ―アルマイトの栞 vol.181
失踪してホームレス生活をしては数ヶ月後に保護されることを繰り返した吾妻ひでおさんは、その体験を『失踪日記 』として描いているが、これを読むと、東京では、どうにか飢えもせずに人は生きていけるものなのだと知らされる。11月から2月までの季節を雑木林の中で、テントさえ張ることもせず、かなり凍えてはいるものの、どうにか飢えずに寝起きしているどころか、どうにか煙草も吸い、どうにか酒すら呑み、無事なのである。いや、これを「無事」と呼ぶのかとは思うが。ともかく、失踪するならば、場所は東京都内に限定すべきだ。そして忘れてならないのは、ハサミとカッターとライターを持って出ること。
缶入り飲料の多くがアルミ缶を主流にしたからこそ、ハサミとカッターでも容易に空き缶の加工ができるわけで、スチール缶ばかりの時代だったら、そうはいかない。アルミの空き缶ならば「小さな鍋」も簡単に作り出せるし、ライターを持ってさえいれば湯も沸かせるわけだが、そこで気付くのは、この「生活」が、ペットボトルの普及したことにも大きく支えられている点で、空きペットボトルは水の貯蔵と運搬に重宝し、水道の蛇口は街をウロウロすれば数多く見付かるのだから、水汲み場には困らず、そして、ウロウロした吾妻さんに指摘されるまで気付かなかったのだが、「バス停の灰皿には長めのシケモクが多い」。ホントですね。煙草の調達先の目星も付くなら、ますますライターは必需品だ。
知人に、住まいの定まっていない写真家が居る。知り合ったのは自分が学生の頃で、最初に出会ったのは渋谷の小さなギャラリーだったが、その人は片手に玉子を一つだけ持ってギャラリーの扉を開いて現れ、ギャラリーのオーナーが仕事をしている事務スペースに首を突っ込み、「玉子もらったんだけど、ここで茹でていい?」と頼んだ。当人の撮影機材などは友人の住まいやギャラリーに分散して預け、当の本人も友人の住まいやギャラリーに「留守番もする」とかの口実で寝泊まりして歩いてると聞いたが、その後、いつ顔が会っても、その暮らしぶりに変化はなく、やせ衰えたりする様子もなければ、グループ展に出品までして、しかもグループ展の会期中は、その会場で寝起きしている。
それで写真が売れたりするものだから、煙草は拾わずにすむらしく、そう云えば吾妻ひでおさんも、二度目の失踪時は「拾った紙に絵を描いて、新宿の路上で売ろうかなあと考えてた」そうで、吾妻ひでおさんならば何を描いたって売れたに違いないけれど、さて、それならば、自分の場合は「似顔絵、描きます」だろうかと考えるものの、すると、一般ウケする絵の描き方を練習する必要があり、いざとなってからでは遅いから、いつでもサラサラと描けるように、吾妻ひでおさんの絵を模写するくらいの修練は積むべきだが、こうなると失踪の必需品に鉛筆と消しゴムが加わることにも気付き、つまり自分の常日頃のカバンの中身と変わらない。そして常日頃から、東京ばかりしかウロウロしていない。
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