Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

終演後にチェック ―アルマイトの栞 vol.176

慌ただしいのか余裕なのか自分でもハッキリ判らないまま、鈴木一琥さんのダンス公演『3.10 10万人のことば』は無事に終演した。御来場頂いた皆さま、ありがとうございました。それにしても、やはり、慌ただしかったのか余裕だったのか不明で、しかし例年のとおり公演で使った音源が耳から離れず、と云うことは、やはり何度も繰り返し音源を聴いたらしく、自分の耳が「3.10専用」みたいな設定変更をされてやしないかと案じ、「耳のサウンドチェック」をすべきかと考え、ドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』を聴いた。劇場のサウンドチェックでは定番のアルバムで、その理由は、よく知らない。

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ダメ出しが遭難 -アルマイトの栞 vol.175

「照明を担当して5回目かあ」と思う鈴木一琥さんのダンス公演『3.10 10万人のことば』が約一週間後に本番である。いつもは三月に入ってから会場のギャラリー・エフへ通う日々が始まるのだけれど、今年は本番の約一ヶ月前からエフへ通うことになり、それと云うのも、一琥さんが二月下旬から本番の三日前まで国外逃亡するからで、当人が逃げる前に可能な限り準備をするべきだと誰もが考えたわけだが、これが思うように進まず、大雪に阻まれ、誰かが風邪をひき、自分も風邪をひき、なぜだか稽古日が消え、睡魔に襲われ、とにかく二月はダメな月だ。それで他の生き物は冬眠するのではないのか?。見ならうべきだと思う。

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光景と住人 ―アルマイトの栞 vol.174

音楽稼業の友人の部屋へ遊びに行くと、楽器店かと思うほどギターだのキーボードだのがゴロゴロと転がり、映像家の友人の部屋へ遊びに行けば、カメラ店かと錯覚するほど三脚だとか大量の録画用DVDだとかSDカードが散乱しているもので、部屋の光景と部屋の住人が、イメージとして容易に結び付き、その一方、「舞踏家の部屋」のワケの判らなさはタダ事ではない。打ち合わせや撮影のために、舞踏家の細田麻央さんの棲息地でもあるスタジオへ何度も足を踏み入れているが、棚に並ぶモノからして、生活用具なのか趣味なのか小道具なのか判然とせず、つい質問すると、当人が「それ、ウチにあったの?」と驚いたりする。

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刷り込まれた ―アルマイトの栞 vol.173

小一時間ほど居座ると、少なくとも二回はボビー・ヘブのヒット曲『SUNNY』を聴かねばならぬ珈琲店で、週二回ほど時間を潰す必要があり、つまり自分は週に最低でも四回は『SUNNY』を聴いていることになり、それがオリジナル曲ではなく、誰かのカヴァーした曲で、しかもボサノヴァ風アレンジで、いや、ループで続くBGMが全てボサノヴァ風アレンジで、たとえ外気6℃の雨天強風だろうとボサノヴァの『SUNNY』で、ずぶ濡れの傘の自尊心を傷付けないか心配になる。荒天の日は、ボ・ガンボスの『SHOUT !』収録版の『SUNNY』くらい派手なカヴァーを大音量で鳴らしたらどうか。傘がソウルフルな道具に見えそうだ。

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喋り合うなら ―アルマイトの栞 vol.172

昨年の、たしか10月末頃、新潮選書の刊行予告で鶴見太郎著『座談の思想 』を目にして、そこに記された目次に驚いた。そもそも「座談には著作物よりも思想の本質が現れる」と考えて「座談とは何か」を追い掛け始めた著者の着眼点にビックリした。座談会ばかりを調べようと思い付く発想が、マトモではない。目次には細かな小見出しが89項目も記され、それを見ただけで興味津々となった。いきなり「岩倉使節団の欠落点」である。幕末に、何か起きたのだ、「座談」史的に。最も気になった項目は第三部の中ほどだ。「言い出せないが、何かそこにある」。本文も読まぬうちに「絶対に、何かあるよな」と賛同してしまった。

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