光景と住人 ―アルマイトの栞 vol.174
音楽稼業の友人の部屋へ遊びに行くと、楽器店かと思うほどギターだのキーボードだのがゴロゴロと転がり、映像家の友人の部屋へ遊びに行けば、カメラ店かと錯覚するほど三脚だとか大量の録画用DVDだとかSDカードが散乱しているもので、部屋の光景と部屋の住人が、イメージとして容易に結び付き、その一方、「舞踏家の部屋」のワケの判らなさはタダ事ではない。打ち合わせや撮影のために、舞踏家の細田麻央さんの棲息地でもあるスタジオへ何度も足を踏み入れているが、棚に並ぶモノからして、生活用具なのか趣味なのか小道具なのか判然とせず、つい質問すると、当人が「それ、ウチにあったの?」と驚いたりする。
もし映像家の友人の部屋で、散乱するSDカードや三脚やカメラバッグの隙間に、十数万円はするだろうゼンハイザーのヘッドフォンを見付けたとして、友人が「それ、ウチにあったの?」と驚いたりすれば、むしろ驚くのは自分だ。ありえないだろう、それは。現場に出ることの多い映像関係者や音楽関係者や、自分も含めて舞台に関わる者は、現場から帰ると荷物の中に、身に覚えのないシロモノの混ざっていることが珍しくないのだが、それは決まって、ガムテとか養生テープとか本体が不明なACアダプタとか錆びて溝の潰れたプラスドライバーとかであって、どう間違ってもゼンハイザーの高級ヘッドフォンが混ざったりはしないのである。そんなモノが混じるなら、いくらでも喜んで現場に出よう。
現場に出掛けることの多い点では舞踏家も同じだから、すると舞踏家ならではの「現場で荷物に混ざりやすいモノ」が存在しても不思議はなく、そうだとすれば、どの舞踏家の部屋でも目にするモノが怪しいと思うわけだが、それが何かハッキリしない。何人かの舞踏家の部屋を知っているけれど、共通するコトは「ゴチャゴチャしている」で、その「ゴチャゴチャ」を構成する要素は各人各様にバラバラなブツである。共通のブツを強いて挙げるなら、「灰皿」だ。しかし、アルミの灰皿の場合もあれば、陶器の灰皿もあり、南部鉄のような気もする灰皿だったり、灰皿にされてしまった珈琲カップとか、灰皿として第二の人生を歩んでいるアヲハタの苺ジャム310gの空きビンとか、「傾向」が見えない。
万が一、「舞台美術は『舞踏家の部屋』を作って」などと頼まれたら、難題だ。「ミュージシャンの部屋」とか「映像家の部屋」ならば、美術セットのイメージは、取り敢えずにせよ、湧く。「舞踏家の部屋」となると、具体的に特定の舞踏家の部屋を思い出すだけで、それ以上のイメージは湧かず、その部屋を再現するしか手段が無く、けれども、実際に再現したところで、その空間を一目見て「わあ!、舞踏家の部屋っぽいなあ」と感嘆の声を挙げる人が居るのか?。大半の人の目には「ゴチャゴチャな部屋」でしかないだろう。ただ、警戒すべきは、一人くらい「あ、細田麻央さんの家だ!」と大声で叫ぶ者が現れる危険性で、その瞬間に、誰も身に覚えのない「細田麻央記念館 再現展示室」が混ざる。
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