「LJ」な仕事 ―アルマイトの栞 vol.79
舞台照明を頼まれたシャンソンのコンサートは見事なまでにぶっつけ本番の照明だった。本番一週間前のリハーサルは「リハーサル」と呼ぶのも憚られるもので、結局は本番当日の、これまた中途半端なリハーサルで照明を考えた。いや、「考えた」と表現することすら疑わしい。まちまちな衣装を着た三十数名が出演順に舞台上で唄うことじたいはリハとして当然だが、本番の開場時間を考えると全員が持ち歌をフルコーラスで唄う時間は無い。歌詞が3番まであろうとリハでは1番だけ唄って終わりである。一人の持ち時間はせいぜい1分強だったろうか。その1分間でそれぞれの曲の照明パターンを即興で作った。まるでイメージ心理テストである。


また舞台照明の仕事を頼まれてしまった。今度はシャンソンのコンサートである。知っているようで知らないような、なんとも微妙なジャンルだ。とっさに思い出すのは越路吹雪の姿くらいで、それは殆ど偏見かもしれない。「エディット・ピアフも居るでしょ」などと怒られそうだ。何はともあれ、送られて来た当日の楽曲リストを見た。「何曲かは知っている」と思ったが、それはむしろ「思い上がり」だ。「この曲は知っている」とは、えてして「この曲のサビだけは何となく知っている」程度のことに過ぎず、それは「知っている」うちには入らない。つまり、しっかりと聴かなければいけないのだ、リストにある32曲ものシャンソンを。ベスト盤の価値が個人的に急上昇する。
2004年の10月に、外苑前にあったGallery ART SPACEで『
もし屋外で何かイベントの類をすることになり、そこに仮設ステージが必要となったら、人はその舞台の向きをどのように決めるだろうか。商店街が企画して駅前などで催される祭りの仮設ステージは、誰がどのような判断で「正面の向き」を決めるのだろうか。「どっちを向いたって同じじゃないか」と思いはするものの、誰かが何らかの判断で決めなければならないのも事実である。
