Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

「LJ」な仕事 ―アルマイトの栞 vol.79

舞台照明を頼まれたシャンソンのコンサートは見事なまでにぶっつけ本番の照明だった。本番一週間前のリハーサルは「リハーサル」と呼ぶのも憚られるもので、結局は本番当日の、これまた中途半端なリハーサルで照明を考えた。いや、「考えた」と表現することすら疑わしい。まちまちな衣装を着た三十数名が出演順に舞台上で唄うことじたいはリハとして当然だが、本番の開場時間を考えると全員が持ち歌をフルコーラスで唄う時間は無い。歌詞が3番まであろうとリハでは1番だけ唄って終わりである。一人の持ち時間はせいぜい1分強だったろうか。その1分間でそれぞれの曲の照明パターンを即興で作った。まるでイメージ心理テストである。

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「解散」出来ない者たち ―アルマイトの栞 vol.78

あのバンドはまだ活動しているのだろうかと、ふとした拍子に誰かが話題にする状況はありがちなことだが、たいていの場合、居合わせた顔ぶれの中に明確な情報を持っている者は居ない。頼りない憶測が飛び交って、真相はハッキリせず、別の話題になり、翌日になればそんな話題が出たことすら忘れている。「音楽バンドのその後」は、労力を費やしてまで知りたいコトではないものの、気にもなるコトの典型である。だから『バンド臨終図巻』なんて本が出れば買ってしまうのは仕方が無い。'60年代から2009年までの「古今東西のバンド」の解散事情が判る本だ。速水健朗氏をはじめ5人の共著だが、この人たちが居る場で「あのバンドは・・・」と口走ったら朝まで帰らせてくれないのではと不安になる。

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青いキンキラ ―アルマイトの栞 vol.77

また舞台照明の仕事を頼まれてしまった。今度はシャンソンのコンサートである。知っているようで知らないような、なんとも微妙なジャンルだ。とっさに思い出すのは越路吹雪の姿くらいで、それは殆ど偏見かもしれない。「エディット・ピアフも居るでしょ」などと怒られそうだ。何はともあれ、送られて来た当日の楽曲リストを見た。「何曲かは知っている」と思ったが、それはむしろ「思い上がり」だ。「この曲は知っている」とは、えてして「この曲のサビだけは何となく知っている」程度のことに過ぎず、それは「知っている」うちには入らない。つまり、しっかりと聴かなければいけないのだ、リストにある32曲ものシャンソンを。ベスト盤の価値が個人的に急上昇する。

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引き延ばして6年 ―アルマイトの栞 vol.76

2004年の10月に、外苑前にあったGallery ART SPACEで『水脈抄』と名付けた作品展をやってから6年近くになる。この時は作品展の期間中に舞踏家の細田麻央さんに来てもらい、写真家の青木香織さんとのフォトセッションをしたのだった。そこから次の作品のカタチを探ってみようと思って居たのだけれど、怠惰でマイペースな自分の性格が災いして、それっきりになって現在に至っているわけで、今さらながらではあるけれど、やはりこれはどうにかしたほうが好いんではないかと考えたりする。

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舞台の向き ―アルマイトの栞 vol.75

もし屋外で何かイベントの類をすることになり、そこに仮設ステージが必要となったら、人はその舞台の向きをどのように決めるだろうか。商店街が企画して駅前などで催される祭りの仮設ステージは、誰がどのような判断で「正面の向き」を決めるのだろうか。「どっちを向いたって同じじゃないか」と思いはするものの、誰かが何らかの判断で決めなければならないのも事実である。

江戸時代の、まだほとんど「屋外公演」に近い様相だった歌舞伎について、「舞台は南向き。役者の正面に日光が当たり、客は逆光の舞台を観ずに済んだ。舞台から見て左側を東、右側を西と呼ぶことの起源」と聞いたのは学生時代のことだ。「ああ、なるほど」と思った。しかし、それから何年か経って、その話に不審を抱いた。何の必要があったのかは忘れたが、江戸の古地図を図書館で見ていた。幾つもある芝居小屋の向きが、必ずしも先の話と一致しない。気になったので大阪の古地図も調べたら、話はますます混乱するのである。舞台の向きはバラバラで、真北を向いている場合すらある。同じ芝居小屋が、移転する度に向きを変えていたりもする。その一方で、劇場用語として「東西」の語を使うことも現在に至るまで事実なので、つまり「舞台の連中はいい加減なヤツらだ」と思うよりないのである。

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