Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

引き延ばして6年 ―アルマイトの栞 vol.76

2004年の10月に、外苑前にあったGallery ART SPACEで『水脈抄』と名付けた作品展をやってから6年近くになる。この時は作品展の期間中に舞踏家の細田麻央さんに来てもらい、写真家の青木香織さんとのフォトセッションをしたのだった。そこから次の作品のカタチを探ってみようと思って居たのだけれど、怠惰でマイペースな自分の性格が災いして、それっきりになって現在に至っているわけで、今さらながらではあるけれど、やはりこれはどうにかしたほうが好いんではないかと考えたりする。

『水脈抄』の直後にGallery ART SPACEは「店じまい」になってしまい、「次の場を探そう」と思ったのだが、思っているうちに知っている他の「場」も幾つか消えてしまった。それ以前に、目黒のアスベスト館はとっくに消えていたし、六本木キャラメルは、ぶらりと出向いてみたら扉に役所の差し押さえの札が貼ってあるような消え方をした。ドラマチックにも程がある。自分の出入りしていた場が次々にこんな消え方をすると、もしかして自分が疫病神なのではないかと不安な気持ちになる。そして気付いたのだけれど、渋谷ジァン・ジァンも、その近所にあったシードホールも消えて久しいわけで、いま自分のプロフィールを詳細に書くと、会場は軒並み「現存せず」の可能性がある。何の因果だ、これは。
「場を探そう」と考えたとき、その対象を一般的な意味合いでの「空間」と決め込むのが好くないのかもしれない。三次元の空間にだけ拘る理由や必要はそもそも初めから無い筈で、何かの思い込みが「空間」にばかり目を向けさせるのではないか。作品と、それを提示する相手との間に何でも好いから「媒介役」がありさえすれば済む話である。だいいち、何を以て「作品」と呼ぶかについてはずっと支離滅裂だった自分である。「場」がデタラメなことになっても何一つ問題は無いんじゃないか。

で、どうしたものだろうか、と考える。たとえば、「とりあえず噂だけ流す」。何人かの知人に「なんかね、やってたらしいよ」と喋って回らせ、別の誰かを目撃者に仕立てる。「照明がものすごく眩しくてね、はっきり見えないんだけど、音は5.1サラウンドっぽくて、なんか大変なことになってた」。どう考えてもただのイタズラである。ろくなものではない。では、このTetra Logic Studioのサイト上だけで何かを公開するのはどうか。「どうか」と訊かれても困るだろうが。しかしそれならば、せめてタイトルくらいはさっさと決めよう。『Version 6.x』。ウソかもしれないですが。

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