Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

意図していない ―アルマイトの栞 vol.154

方向性を手探りのまま動画で何か創ろうとすると、偶然に「イイ感じの円形の虹」が出たりするので、困ったものだ。晴れるのを待つ「天気待ち」は屋外ロケに付きものだが、「虹待ち」と云う話を、知らない。動画に限らず、「特殊な効果」ほど、狙って旨くいく場合は少なく、そうかと思うと、つい自分の不注意で、描きかけの絵の上に大胆に垂らしてしまった絵の具がキレイだったりして、それも困ったものだが、「キレイ」の前において、作り手は無力である。その偶然を認めるしかない、と云うか、「自分の画力」とか全く関係無いわけで、極めて好都合このうえない。そして、「狙った」と必ず云う。

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そうなった真相 ―アルマイトの栞 vol.153

古書店の棚に、古い『チェスの本』を見付け、本の内容よりも表紙の写真が気になり、手に取って、立ち見した。「この様子は難解なゲーム展開なのだろうか」と思い、表紙の写真を眺めたが、自分のアタマでは即座に理解が出来ず、白と黒のどちらが優勢なのかすら、よく判らない。「家で考えよう」。それだけの動機で、本を買った。表紙の写真は、裏表紙の一部分まで回り込みながら左綴じに続くので、自宅で本のカバーを外して拡げ、あらためて写真を見つめた。ジッと見つめるほどに、何か不可解な印象がアタマの中を横切り始め、数十秒後に、それは疑念となった。「駒の配置がデタラメだったりしないか」。

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出て来る連鎖 ―アルマイトの栞 vol.152

2010年10月に、映像家の大津伴絵さんと一緒に曼珠沙華の花を撮影して歩いた。その翌年の9月が本番の公演で、曼珠沙華の映像を投影すると好いのではないかと考え、本番直前だと曼珠沙華の季節には少し早いと気付き、慌てて二人で出掛け、満開の時期こそ逸したものの、どうにか映像素材を集めることには成功し、「一年前に準備万端の自分たちは偉い」と、互いを誉め讃えたものだが、演出の人は全く興味を示さなかった。お蔵入りにされた曼珠沙華の映像を、「今度こそ使える」と大津さんが掘り出してくれたのは先週だ。デート中のカップルしか居ない浜離宮恩賜庭園を男二人きりで歩き回った一日が、やっと報われる。

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長さと数 ―アルマイトの栞 vol.151

ページ数の少ない文庫本で目次の項目数が無闇に多かったり、その逆に、ページ数の多いわりに目次の項目数が少ない文庫本は、何か不可思議である。その点で微妙な気分になるのは、岩波文庫に在る哲学者ベルクソンの『笑い』だ。225ページで厚さ8ミリなのは、文庫本として薄いとも厚いとも云えない。その目次は「序」と「附録」に三つの章が挟まれるだけだが、第一章のみ、四つの小見出しが付されている。妙にアンバランスな目次構成だ。その奇妙な第一章でベルクソンは語る。「人は半分毛の刈ってある犬に笑いを催す」。いきなりな話だ。己の哲学のために、勝手に近所の犬の毛を刈ったのではあるまいな、ベルクソンは。

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相性との相談 ―アルマイトの栞 vol.150

時折、なんとなく適当なページを開いてパラパラと眺め読みしたくなる本が幾つか在り、その種の本は、とりたてて読みたい本が無い場合にカバンへ入れて持ち歩きたくなるもので、ましてや、新幹線などで長時間の移動をしなければいけない時の暇つぶしが何も見付からない場合は、その種の本が絶対に必要なのだが、その「なんとなく」にも一応は「気分」が影響し、何冊かの「その種の本」から気分に応じて選ぶことになる。すると、自分にとって心配なのは、「なんとなく適当なページを開いてパラパラと眺め読みしたくなる本」の中に『国宝 阿修羅展』の図録が存在することだ。外出の友としては、サイズが悩ましい。

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