Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

長さと数 ―アルマイトの栞 vol.151

ページ数の少ない文庫本で目次の項目数が無闇に多かったり、その逆に、ページ数の多いわりに目次の項目数が少ない文庫本は、何か不可思議である。その点で微妙な気分になるのは、岩波文庫に在る哲学者ベルクソンの『笑い』だ。225ページで厚さ8ミリなのは、文庫本として薄いとも厚いとも云えない。その目次は「序」と「附録」に三つの章が挟まれるだけだが、第一章のみ、四つの小見出しが付されている。妙にアンバランスな目次構成だ。その奇妙な第一章でベルクソンは語る。「人は半分毛の刈ってある犬に笑いを催す」。いきなりな話だ。己の哲学のために、勝手に近所の犬の毛を刈ったのではあるまいな、ベルクソンは。

ところで、何を云いたかったのか。文庫本に記された内容の長さと目次の項目数についてである。べつに、「ページ数と目次項目数は比例すべきだ」と主張する気はなく、ただ、長さと目次の項目数に対して、不可思議な気分になる場合があると云う、それだけのことだが、これは本に限ったことではない。音楽アルバムに対しても、同じ不可思議な気分を覚える場合がある。音楽CDの見た目は、どれも同じなわけで、すると、そこに収録されている楽曲数の違いが気になってしまう。たった4曲しか収録されていないアルバムも存在する一方で、例えば、マーティン・デニーの『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー / エキゾティック・サウンズ』は29曲だ。アルバム名の長さと比例でもしてるのか。

たった4曲の音楽アルバムであっても、また妙に悩ましい気分になる場合もあり、買って帰ってジャケットの表記をロクに見もせずに聴き始め、最初の3曲が終わって4曲目が始まり、始まったのは好いが、この4曲目がいつまでも終わらない。プレーヤの誤作動では無さそうなので、いよいよ不審に思い、ジャケットを見ると、最初の3曲が全て3分前後の長さの楽曲なのに、最後の4曲目だけが35分21秒とか書いてある。どんな経緯でソンナことになったのか、知りたい。レコーディングの現場で、何かあったのだろうか。最初の3曲のレコーディングが終わった時点で、「まだ、だいぶ録音時間が余ってますよ。モッタイナイです」と発言した者が居るのじゃないか。メンバーに貧乏性の者が居るバンドだ。

貧乏性は、自分も同じらしい。YouTubeに公開した映像『半村良の空想力』の第二弾として、映像家の大津伴絵さんと一緒に映像を作って居るのだが、約24分の『半村良の空想力』よりも短い尺にしようと決め、10分前後の長さに収めるべく撮影を始めたら、カット数が無闇に多くなり、いったい何箇所でロケをすれば気が済むのかと云う状況に陥った。10分の中に多量のカットを詰め込みたくなる貧乏性の自分が居たのだ。しかも、ほんの2、3秒のカットのためだけに横浜やら、赤羽やら、狛江やらへ出掛け、ロケ地の一覧を目次代わりに表記したくなる程だが、それを見せたところで「だから何だ」と云う話で、その一覧を愉しめる唯一の方策は、附録「ロケ地スタンプラリー」の作成である。

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