そうなった真相 ―アルマイトの栞 vol.153
古書店の棚に、古い『チェスの本』を見付け、本の内容よりも表紙の写真が気になり、手に取って、立ち見した。「この様子は難解なゲーム展開なのだろうか」と思い、表紙の写真を眺めたが、自分のアタマでは即座に理解が出来ず、白と黒のどちらが優勢なのかすら、よく判らない。「家で考えよう」。それだけの動機で、本を買った。表紙の写真は、裏表紙の一部分まで回り込みながら左綴じに続くので、自宅で本のカバーを外して拡げ、あらためて写真を見つめた。ジッと見つめるほどに、何か不可解な印象がアタマの中を横切り始め、数十秒後に、それは疑念となった。「駒の配置がデタラメだったりしないか」。
よからぬ推理だが、黒のキングが居ないのだ。表紙のデザイナーが駒をデタラメに置いたと勘ぐった。写真映えだけを気にして、撮影時にモノの配置を改変してしまう行為は、珍しくない。建築の内部写真を撮影する際に、まるで仇敵かのように消火器をどける人が居る。うっかり、どけるのを忘れて写り込んでしまったら、Photoshopで消される。消火器の立場はどうなるのか。そもそも、消火器の「赤」って、綺麗ですよ。それはどうでもいい。『チェスの本』の表紙写真の話だ。ゲーム開始時なら、黒のキングは、表紙写真で左斜め一番奥の列、上隅から四つ目の白いマスに居る。その真向かいの八つ目となる黒いマスは白のキングの定位置だが、そうなると、白のキングも居ない。異変ではないのか。
危うく表紙のデザイナーに罪を着せるところだったが、裏表紙まで続く写真のどこにも、黒のキングと白のキングの姿が見当たらず、チェス盤の写真を撮るために、わざわざ両方のキングをどける行為は考えにくいので、すると、やはり、異変だ。この状況を端的に表現するなら、「黒さんと白さんの夫が揃って失踪」である。写真中央辺りに、背の高い黒のクイーンと白のクイーンが居る。両家とも、妻が慌てて夫を捜しているのだ。写真左の手前辺りに、馬の形をしたナイトが、黒白ともに一つずつ居る。しかし、ナイトは黒も白も二つ居る筈で、その一方がどちらも見当たらない。どちらの夫も、馬で出掛けて失踪か?。道を挟んで真向かいの二軒で夫が同時に同様の失踪をしたなら、事件性も高まる。
写真奥の隅から対角線上に四つ目の黒のマスに、ボーリングのピンに似た形の白のビショップが居る。ビショップは「僧侶」で、つまり白さんの檀那寺から住職までもが駆け付ける騒動だ。実は、左斜め一番奥の列を裏表紙に回り込んだ白のマスに黒のビショップが居る。黒さんの檀那寺の住職のほうが一足早く駆け付け、既に邸内で夫の書斎付近を調べている雰囲気だが、すると、なにか、このチェス盤で展開されているのは、『ライバル僧侶探偵の推理日誌』とか云う二時間ドラマみたいな状況なのか。「檀家で消えた馬主と競走馬」だ。写真手前となる最も端の縦横一列が、裏表紙も含め、思わせぶりに一部しか見えない点は、もう本格ミステリーである。もし真っ当なチェスの展開だったなら、ゴメン。
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