環太平洋と鈴木一琥 ―アルマイトの栞 vol.83

ダンサーの鈴木一琥さんが、新しいダンス公演のシリーズ企画を目論見始めて、その相談などを兼ねて一琥さんと頻繁に会っている。企画のタイトルはまだ仮だが、『Voices of Dragon ~龍の声~』となっている。日本の古い舟歌や木遣り、そこにマーシャル諸島辺りの舟歌をはじめとする音楽要素も加えていきたいと一琥さんが語ったとき、「マーシャル諸島ってどのへんだったろうか」と考え、漠然と「南洋」くらいのことしか思い付かなかった。「地理」はずっと苦手科目である。調べると「南洋群島の東部を占める島嶼群」とあり、更に「ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置する」とあって、ますます解らなくなってしまった。「ニューギニアは近所でしょうか」と思ったのは、南洋をイメージすると、なぜか諸星大二郎さんの名作『マッドメン』がアタマの中に浮かんでしまうからだ。その舞台がニューギニアなのだが、それだけで「南洋」を一括りにイメージする自分をどうかと思う。


レンタルDVDで旧いSF映画ばかり借りて観て居た。新しい作品でも30年ほど前のもので、どれも「21世紀の未来」を描いた作品ばかり選んでしまった。そこには決まって人間より優れた知性として振る舞う人工知能やアンドロイドが登場するが、ヤツらは人間と必ずのようにチェスをする。そして当然のごとく人間に勝つわけで、「またあなたの負けです」といきなり宣言し、のみならず解説を加えたがる性格らしい。「あなたがビショップでクイーンを取る。そのビショップを私がナイトで取ったらチェックメイト」。ハッタリだったりしないかと疑った。画面を一時停止にして盤面を観察し始めた。翌日の夜、素直に降参した。しかし、どうしてこの種のSFでは人工知能が人間相手にやたらとチェスをするのか。麻雀ではいけないのか。
舞台照明を頼まれたシャンソンのコンサートは見事なまでにぶっつけ本番の照明だった。本番一週間前のリハーサルは「リハーサル」と呼ぶのも憚られるもので、結局は本番当日の、これまた中途半端なリハーサルで照明を考えた。いや、「考えた」と表現することすら疑わしい。まちまちな衣装を着た三十数名が出演順に舞台上で唄うことじたいはリハとして当然だが、本番の開場時間を考えると全員が持ち歌をフルコーラスで唄う時間は無い。歌詞が3番まであろうとリハでは1番だけ唄って終わりである。一人の持ち時間はせいぜい1分強だったろうか。その1分間でそれぞれの曲の照明パターンを即興で作った。まるでイメージ心理テストである。
