Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

SFと遊びと人間 ―アルマイトの栞 vol.80

レンタルDVDで旧いSF映画ばかり借りて観て居た。新しい作品でも30年ほど前のもので、どれも「21世紀の未来」を描いた作品ばかり選んでしまった。そこには決まって人間より優れた知性として振る舞う人工知能やアンドロイドが登場するが、ヤツらは人間と必ずのようにチェスをする。そして当然のごとく人間に勝つわけで、「またあなたの負けです」といきなり宣言し、のみならず解説を加えたがる性格らしい。「あなたがビショップでクイーンを取る。そのビショップを私がナイトで取ったらチェックメイト」。ハッタリだったりしないかと疑った。画面を一時停止にして盤面を観察し始めた。翌日の夜、素直に降参した。しかし、どうしてこの種のSFでは人工知能が人間相手にやたらとチェスをするのか。麻雀ではいけないのか。

作品中に登場する人工知能の優秀さを表現する演出手段としてゲームが用いられるのだとすれば、麻雀は不向きかもしれない。先ず、4人居ないと成立しない。人工知能が極めて優秀であることを表現するためだけに、メンバー集めから描くのも厄介である。ともすれば、それは物語の進行に影響する。悩んだ監督が、「このシーンで人工冬眠中の二人を起こしてメンツを揃えちゃおうか」などと口走ったら、その後の物語の展開はどうなるのだ。一対一で競うゲームを選ぶ方が物語に挿入しやすい。そうなると、チェスに限らず囲碁や将棋も思い浮かぶ。チャトランガはどうか。いや、よくは知らないのだが、古代インドのボードゲームらしい。チャトランガはともかく、囲碁や将棋ですら優れた人工知能の描写手段として用いられているシーンを見かけない。世界的に眺めた場合、チェスほどに知名度が高くないからだろうか。

けれども、「未来」を舞台として設定した「SF」である。その作品世界で、チェスの知名度が不動のままである必要はないと思う。「チェスが廃れてチャトランガが世界的に大流行している未来」。なんだかよく解らないが、せめてチェスの立場が将棋に取って代わられるくらいしても好さそうである。歌舞伎町やら池袋の光景に触発されたらしい東洋趣味で未来都市を描いた『ブレードランナー』ですら、アンドロイドは人間とチェスをする。もしこれが「テトリスで対戦プレイ」だったとしても構わないんじゃないか。テトリスもかなりアタマを使う。しかも、「長考」とか「待った」は到底あり得ない。

だが、テトリスが登場して流行したのは'80年代後半だったのではなかったか。借りて観たSF映画はそれ以前に制作されたものばかりだ。テトリスに限らず、この30年でコンピュータゲームの様相が劇的に変わったように思う。21世紀のゲーム事情がよもやこんなことになろうとは、当時のSF制作者ですら考えつかなかったのかもしれない。SFが未来世界を描くために取り上げるのは、たいていテクノロジーの飛躍的な様変わりで、人間の基本的な日常生活習慣にはさほどの変化を加えないように思う。ましてや、余暇や暇つぶしの中にあるゲームなどの遊びが、突然変異さながらの事態になっている世界を描こうなどと考える者はあまり居ない。

暇つぶしに遊ぶと云えばチェスやトランプや将棋あたりが当然だった時代に、誰が「たまごっち」なんてものを想像したろうか。重大なミッションを課せられて木星に向かう宇宙船の中で、人工知能が乗員に「37分後にたまごっちの機嫌が悪くなりますよ、フランク」と声を掛けるのもどうかと思うが。いや、「未来」を描こうとするSFだ。その程度の描写で満足してはいけない。むしろ、たまごっちが次々と人間以上の知性を持つまでに育つくらいの展開はしっかり描くべきである。そしてアタマ数が揃ったところで、たまごっち達と乗員一人で麻雀をすれば好いのではないか。

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