環太平洋と鈴木一琥 ―アルマイトの栞 vol.83
ダンサーの鈴木一琥さんが、新しいダンス公演のシリーズ企画を目論見始めて、その相談などを兼ねて一琥さんと頻繁に会っている。企画のタイトルはまだ仮だが、『Voices of Dragon ~龍の声~』となっている。日本の古い舟歌や木遣り、そこにマーシャル諸島辺りの舟歌をはじめとする音楽要素も加えていきたいと一琥さんが語ったとき、「マーシャル諸島ってどのへんだったろうか」と考え、漠然と「南洋」くらいのことしか思い付かなかった。「地理」はずっと苦手科目である。調べると「南洋群島の東部を占める島嶼群」とあり、更に「ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置する」とあって、ますます解らなくなってしまった。「ニューギニアは近所でしょうか」と思ったのは、南洋をイメージすると、なぜか諸星大二郎さんの名作『マッドメン』がアタマの中に浮かんでしまうからだ。その舞台がニューギニアなのだが、それだけで「南洋」を一括りにイメージする自分をどうかと思う。
地図を見ればハッキリする話で、それでようやく「ミクロネシア連邦の東、キリバスの北」の意味も解った。ニューギニアは、「近所」と呼ぶには悩ましい。マーシャル諸島は「ミクロネシア連邦の東」だが、パプアニューギニアはミクロネシア連邦の南である。この地理的な距離を、文化的にはどう捉えたら好いのだろうか。欧米人が、日本と朝鮮半島や中国大陸を文化的にゴチャゴチャに捉え、ハリウッド映画で「和服のようなモノ」を着た東洋人が登場すると中国銅鑼のタムタムが派手に鳴ったりするものだが、地図で見る限り、日本列島とアジア大陸東岸は「まあ、同じような場所でしょ」と思われても仕方のない距離である。それと比べた場合、マーシャル諸島とニューギニアはもっと離れている。しかし、その気になってニューギニアの何処かから舟を漕ぎ出せば、危険な試みとは云え、マーシャルの何処かに辿り着けないこともないだろう。どの程度の時間が掛かるのかは知らないが。
地図をよく眺めると、ニューギニアからマーシャル諸島までの間には随分と多くの小さな島がある。舟を漕いで少し進んでは手近な島で休んで、そうするうちに気付けばマーシャルだったりするのではないか。ヤップ島やらトラック諸島で休むことになるのかもしれないが、なんだか太平洋戦争の戦跡巡りでもしているのかと云う場所ばかりである。しかし果たして、どの程度の確率で旨くいく冒険なのか、航海術のような事柄については全く知らないので、そんな自分が試みるべき行為ではない。気付かぬうちに乗ってしまった海流に運ばれて、テニアン島やサイパン島、硫黄島に漂着したりすることも考えられるが、それはそれでやはり戦跡巡りである。目的地に近づこうが漂流しようが、重たい気分にさせられそうな場所にばかり辿り着く冒険ではないかと思うものの、それは過去70年前後の狭い範囲だけで歴史を眺めるからだ。そもそも、文化的な繋がりに考えを巡らせる目的で「航海」を思い付いただけで、戦史を学びたいわけではない。
それならば、漂流するにしても、もっと大きく黒潮に流されて、紀伊半島とか淡路島に漂着する可能性を考えるほうが遙かに興味深い。『マッドメン』は、ニューギニアの古代神話と日本の古代神話がいつしか交錯して、更に壮大な神話体系の可能性を読者に提示する刺激的な作品だが、漂流して辿り着いた先が淡路島ならば、そのまま『古事記』の「国産み」神話と接点が現れて、鈴木一琥さんが彼自身のダンスの根源に据える神楽の起源「天の岩戸」の話にすぐ手が届く。どうにも途方もない環太平洋規模の妄想を一人勝手に進めて、『マッドメン』を読み直し、マーシャル諸島の資料を探し、物思いに耽っていたら、一琥さんから「一緒にマグロを食べに行こう」などと誘われるのだった。確かにそれも「環太平洋」的な話だけれど、まさか『Voices of Dragon』の公演会場で観客に「大トロ握り一貫サービス」を企てる気ではあるまいな。制作予算が気掛かりである。
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