Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

作業の手前で ―アルマイトの栞 vol.156

物事を先延ばしする口実は、不思議なほど次々と思い付けるもので、「つい横溝正史の『八つ墓村』を読み耽ってしまい」とかが一例である。理不尽である。理不尽だが、事実なのだから仕方が無い。つい、読み耽ってしまったのだ、『八つ墓村』を。すると当然のように次の口実が「市川崑監督、豊川悦司主演の映画『八つ墓村』を二泊三日でレンタルしてしまい、何せ二泊三日なら旧作100円だったし、だから急いで観ないといけなくて」になり、そして「原作と映画で異なる箇所の確認をしたい、何せ原作を読み耽った直後に映画を観たのだから」となって再び本を開き、やらなければいけない作業は何も進まない。

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不意にパンクを思う ―アルマイトの栞 vol.155

出し抜けに、と云うか、やにわに、と云うか、とにかく何だか判らないが、突然に思ったのである。「あのエンディングの曲はパンク・ロックでも好かったのではないか、たとえば『毛皮のマリーズ』のような」。それを独り言で口走ったとして、仮に誰かが自分のそばに居ても、ほぼ確実に意味不明で、なぜなら自分はヘッドフォンで「毛皮のマリーズ」のアルバムを聴いている最中だったからだ。スピーカから音を出していれば、そばに居合わせた誰かも「ああ、こんな感じの曲ね。で、何が?」とでも相づちを打ってくれるかもしれないが、ヘッドフォンと云うやつは、えてして人を「寝言じみた独り言を口走る者」にする。

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意図していない ―アルマイトの栞 vol.154

方向性を手探りのまま動画で何か創ろうとすると、偶然に「イイ感じの円形の虹」が出たりするので、困ったものだ。晴れるのを待つ「天気待ち」は屋外ロケに付きものだが、「虹待ち」と云う話を、知らない。動画に限らず、「特殊な効果」ほど、狙って旨くいく場合は少なく、そうかと思うと、つい自分の不注意で、描きかけの絵の上に大胆に垂らしてしまった絵の具がキレイだったりして、それも困ったものだが、「キレイ」の前において、作り手は無力である。その偶然を認めるしかない、と云うか、「自分の画力」とか全く関係無いわけで、極めて好都合このうえない。そして、「狙った」と必ず云う。

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そうなった真相 ―アルマイトの栞 vol.153

古書店の棚に、古い『チェスの本』を見付け、本の内容よりも表紙の写真が気になり、手に取って、立ち見した。「この様子は難解なゲーム展開なのだろうか」と思い、表紙の写真を眺めたが、自分のアタマでは即座に理解が出来ず、白と黒のどちらが優勢なのかすら、よく判らない。「家で考えよう」。それだけの動機で、本を買った。表紙の写真は、裏表紙の一部分まで回り込みながら左綴じに続くので、自宅で本のカバーを外して拡げ、あらためて写真を見つめた。ジッと見つめるほどに、何か不可解な印象がアタマの中を横切り始め、数十秒後に、それは疑念となった。「駒の配置がデタラメだったりしないか」。

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出て来る連鎖 ―アルマイトの栞 vol.152

2010年10月に、映像家の大津伴絵さんと一緒に曼珠沙華の花を撮影して歩いた。その翌年の9月が本番の公演で、曼珠沙華の映像を投影すると好いのではないかと考え、本番直前だと曼珠沙華の季節には少し早いと気付き、慌てて二人で出掛け、満開の時期こそ逸したものの、どうにか映像素材を集めることには成功し、「一年前に準備万端の自分たちは偉い」と、互いを誉め讃えたものだが、演出の人は全く興味を示さなかった。お蔵入りにされた曼珠沙華の映像を、「今度こそ使える」と大津さんが掘り出してくれたのは先週だ。デート中のカップルしか居ない浜離宮恩賜庭園を男二人きりで歩き回った一日が、やっと報われる。

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