Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

追跡の国 ―アルマイトの栞 vol.182

'60年代の半ばに初めて日本を訪れたロラン・バルトは、よほど衝撃を受けたらしく、一冊の本を書いてしまい、その本は、ちくま学芸文庫『表徴の帝国 』が邦訳だが、みすず書房からも新訳が出ており、そちらの邦題は『記号の国 』で、両者を読み比べて気になるのは、バルトが天ぷら屋へ案内された体験を記した章『すきま』の冒頭だ。『表徴の帝国』で「うなぎ」と訳された語が、『記号の国』では「穴子」で、天ぷら屋なのだから「穴子」が正しいように思うが、「頭に錐を打ち、皮を剥く」との調理法は「うなぎ」のような気もし、バルトが食べたのはウナギか穴子か、気になって仕方ない。先ず、店は、どこだ?

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必需品を並べる ―アルマイトの栞 vol.181

失踪してホームレス生活をしては数ヶ月後に保護されることを繰り返した吾妻ひでおさんは、その体験を『失踪日記 』として描いているが、これを読むと、東京では、どうにか飢えもせずに人は生きていけるものなのだと知らされる。11月から2月までの季節を雑木林の中で、テントさえ張ることもせず、かなり凍えてはいるものの、どうにか飢えずに寝起きしているどころか、どうにか煙草も吸い、どうにか酒すら呑み、無事なのである。いや、これを「無事」と呼ぶのかとは思うが。ともかく、失踪するならば、場所は東京都内に限定すべきだ。そして忘れてならないのは、ハサミとカッターとライターを持って出ること。

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頼れぬ記憶 ―アルマイトの栞 vol.179

自分の描きたい絵を、好き勝手に気の向いた時だけ描いて生きていければ、それ以上の幸福はないと思っており、それで自分の人生は充分なのだが、現実とは甘美なものではないらしく、「ひょっとこ踊りの絵を明日中に」などと頼まれる。よりによって「ひょっとこ」である。記憶だけを頼りに描くと、ナンシー関さんが雑誌の読者投稿企画として主宰した『記憶スケッチアカデミー』の投稿みたいな絵になる。「お題:にわとり」の回では、四本足のニワトリを描いてしまう投稿者が続出し、人の記憶とは、そんなものらしいが、「ひょっとこ踊り」は更に難しい。なにせ、身近に「ひょっとこ踊りの人」が居ないのだから。

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調べもの迷宮 ―アルマイトの栞 vol.177

ほんの5秒ほど途絶えた雑談を、唐突に「19世紀のクリミア戦争は」と、前後の脈略の無い話題に変える知人が居て、ナニゴトかと思い、しかし彼の口から「ボスフォラス海峡の」と発せられたとき、自分のアタマには小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』が現れてしまい、それは物語の冒頭の数行目に「ボスフォラス以東に只一つしかないと云われる降矢木家の建物が」と書かれるからで、自分が初めて「ボスフォラス」の地名を知ったのは『黒死館殺人事件』だったゆえに、自分にとっては「ボスフォラス=黒死館殺人事件」なのであって、思い出したからには再読したい衝動に駆られ、知人の話が、申し訳無いことに、聞こえなくなった。

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終演後にチェック ―アルマイトの栞 vol.176

慌ただしいのか余裕なのか自分でもハッキリ判らないまま、鈴木一琥さんのダンス公演『3.10 10万人のことば』は無事に終演した。御来場頂いた皆さま、ありがとうございました。それにしても、やはり、慌ただしかったのか余裕だったのか不明で、しかし例年のとおり公演で使った音源が耳から離れず、と云うことは、やはり何度も繰り返し音源を聴いたらしく、自分の耳が「3.10専用」みたいな設定変更をされてやしないかと案じ、「耳のサウンドチェック」をすべきかと考え、ドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』を聴いた。劇場のサウンドチェックでは定番のアルバムで、その理由は、よく知らない。

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