半村良さんの短編『環章』を、映像に仕立ててYouTubeで公開しました。皆さまに御笑覧頂ければ、何より嬉しいです。
昨年8月にYouTubeで公開した映像『半村良の空想力 』に続き、半村関連映像の制作としては二本目で、どうしたわけか、やはり今回も公開が夏となったが、べつに「夏の全国ロードショー公開」とか云うわけでは全くない。夏の恒例行事のようなことを目論んでるわけでもないのに、「宇宙の摂理」とでも云うべきでしょうか、勝手に「夏の恒例行事」になってしまったのだが、たかだか二年続いたくらいで「恒例」などと称するのも、それはそれで考えものだ。
いっそ、来年からは「今年の夏も半村良!」みたいなキャッチフレーズを掲げての映像公開を企もうかと思いこそすれ、映像の制作スピードが笑ってしまうほど行き当たりばったりなので、次回がいつになるのか、誰にも判らないのである。自分たちでも予想しないまま、「年越しカウントダウン公開!」と云う事態も、可能性としてゼロとは断言できず、ともあれ、今回は「今年も夏だったですけど半村良!」で愉しんで頂ければ、ホントに嬉しい限りです。多謝。
物事を先延ばしする口実は、不思議なほど次々と思い付けるもので、「つい横溝正史の『八つ墓村』を読み耽ってしまい」とかが一例である。理不尽である。理不尽だが、事実なのだから仕方が無い。つい、読み耽ってしまったのだ、『八つ墓村』を。すると当然のように次の口実が「市川崑監督、豊川悦司主演の映画『八つ墓村』を二泊三日でレンタルしてしまい、何せ二泊三日なら旧作100円だったし、だから急いで観ないといけなくて」になり、そして「原作と映画で異なる箇所の確認をしたい、何せ原作を読み耽った直後に映画を観たのだから」となって再び本を開き、やらなければいけない作業は何も進まない。
出し抜けに、と云うか、やにわに、と云うか、とにかく何だか判らないが、突然に思ったのである。「あのエンディングの曲はパンク・ロックでも好かったのではないか、たとえば『毛皮のマリーズ』のような」。それを独り言で口走ったとして、仮に誰かが自分のそばに居ても、ほぼ確実に意味不明で、なぜなら自分はヘッドフォンで「毛皮のマリーズ」のアルバムを聴いている最中だったからだ。スピーカから音を出していれば、そばに居合わせた誰かも「ああ、こんな感じの曲ね。で、何が?」とでも相づちを打ってくれるかもしれないが、ヘッドフォンと云うやつは、えてして人を「寝言じみた独り言を口走る者」にする。