4分を目指して ―アルマイトの栞 vol.160
ほぼ一日中に亘ってカメラの回り続ける映像撮影を、この春から三回ほど繰り返し、それはそれは大変に長尺の映像素材が蓄えられたわけだが、それを編集して、どんなに長くても4分くらいの映像に仕上げる事態となった。目眩がした。素材の映像が無音なので、「4分くらい」の手掛かりがハッキリせず、ふと、「映画の1シーンを編集する」と見なせば旨くいくように思い、映画のサントラがヒントになりはしないかと考えた。BGMを時間の目安として先に決めてしまう手口だ。それでヒントを探し、自室の棚から現れたCDが『ロシュフォールの恋人たち』のサントラで、いかがなものか。そんなノーテンキな音楽を聴いてる場合か。
それにしても、行為の順序が逆だ。映像や舞台に音楽を付ける場合、本来であれば、演技などの視覚的なシーンが先に存在して、その尺に合わせた時間で音楽を考えるはずである。『ロシュフォールの恋人たち』のようなミュージカル映画の場合は、なにせ「ミュージカル」なので、ことによると楽曲が先に存在する可能性もあるが、そのあたりの事情は知らず、確かなことは、少なくとも自分はミュージカル映画の編集をしているわけではないと云うことだ。舞踏の映像なのである。舞踏家の細田麻央さんたちと企んでいる動画サイト公開限定の「公演」を目的とした映像撮影が一通り終わり、ともかく編集してみようかと云う話になったのは好いが、最初から煮詰まり、「夏休みの宿題の悪夢」へ連れ戻された。
いかんせん、繰り返すが、ほぼ一日中に亘ってカメラの回った映像が三回分は在るわけで、そこからシーンを選び、カット割りを決めて構成し、「長くても4分くらい」は、音などの手掛かりが何も無いに至って、極めて難題となるのだと気付き、「気付くのが遅いよ」と耳の中で小人が嘲笑った気がして、それは猛暑も手伝っての幻聴だと思う。少し休んだほうが好くはないか。だが、映像家の大津伴絵さんの仕事場で編集作業を一緒に進める日程は決めてしまったので、「4分くらい」の手掛かりとなる音を、何でもいいから作ったほうが好いと考え、チマチマと音を並べ始めたら、「ほとんど夏バテの音楽」みたいなモノが出来た。尺は3分7秒。夏バテと自分の中途半端な性格が同居した中途半端な尺である。
しかし、ここで7秒削って3分にすると、映像の尺も短くなり、さらに自分たちのクビを絞め、すると53秒足して4分にするほうがマシだが、音の展開に悩み始めた途端に酷い雷雨も始まり、停電を恐れてMacの電源を切ってしまった。翌日、3分7秒の音を持って大津さんの仕事場へ行き、二人で煮詰まる映像編集を始め、「もっと長尺でもイイかも」とか云ってたら、また雷雨で、停電を恐れてMacの電源を切ってしまった。出来た映像は、つまり3分7秒で、全ては雷雨のせいだ。そして停電で電車が止まり、普段は10分の6駅を1時間の尺で帰った。3分7秒の映像の途中に「落雷停電中」のテロップを53秒だけ出しっ放しにして4分の映像だと主張するのはどうか。「妙案だ」と小人が唸った、気がする。
Comments