Tetra Logic Studio|テトラロジックスタジオ

建築・舞台芸術・映像を中心に新しい創造環境を生み出すプラットフォームとして結成。プロジェクトに応じて、組織内外の柔軟なネットワークを構築し活動を展開。

『玉手箱』折り返し地点通過 ―アルマイトの栞 vol.47

8日の日曜日に、黒テントの『玉手箱』は折り返し地点を過ぎた。そしてまた一人、「脱いで」しまった役者が居る。残りあと一週間でいったい何人脱げば気が済むのか。初日が始まった時点で美術家としての責任はほとんど果たしたわけだが、それでも折に触れて劇場へ足を運んでいる。先日は映像作家の安藤順健さんとアートディレクターのKさんが来てくれた。いまこの二人とは川口市主催の公募写真展『川口百景』の企画で御一緒させて頂いている。Tetra Logic Studioは企画展示の空間デザインあたりで関わっているのだが、まだそのことについてあまり具体的な話はしていない。そんなこともあったので、終演後に二人と場所を変えて話をしたが、話題はストリップになってしまうのだった。

僕と知り合うはるか以前、安藤さんは住所不定で、ホームレスから酒を奢ってもらっていた。住所不定だった安藤さんがある日ブラリと電車に乗ると、それは終電で熱海止まりだった。駅を出て繁華街と反対の方へ歩いていくと一人の男が近づいてきて、「お兄ちゃん、ストリップ見ないか」と云う。「おおまけにまけて千円でいい」。それで安藤さんは着いて行った。その道すがら、男は呟いたそうだ。「母ちゃんがやってるんだ」。大変なことである。「母ちゃん」がストリップをして、「父ちゃん」は客引きである。世の中はバブルの絶頂だ。なにかよほどの事情があったのだろうけど、その家庭に育った子どもは不憫ではないか。男と安藤さんがストリップ小屋に着くと、入り口でチケットのもぎりをする別の男がいた。「息子なんだ」。いよいよ大変なことになっているのである。千円だったはずのストリップは、結局のところ御祝儀をねだられたりして、千円以上の出費だったそうだ。その代わりか何かはしらないが、安藤さんはストリッパーが局部でリンゴを半分に割る芸を目にした。終演後、客引きの「父ちゃん」が少ない観客たちにこう云った。「さらにお愉しみになりたい方はお二階へどうぞ」。

地方には家内制手工業とでも表現すべきストリップがあったのだ。安藤さんの話を聞いて、その家族のただならぬエネルギーを感じた。『玉手箱』の中で、あるストリッパーが「人間がエロいことにかけるエネルギーは凄い」と口にする場面があるが、確かにそうなんである。合理的なことよりも、どうも人間と云う生き物は不合理なことや不条理なことに並々ならぬエネルギーを費やすものらしい。その筆頭に「エロいこと」がある。『O嬢の物語』で「O」を弄ぶ男達のエネルギーは理屈で説明のつくものではない。なんでそんなことに真剣な情熱を注ぐのかよくわからないことに彼らは寝食を忘れて取り組むのだ。同じ意味でナボコフの『ロリータ』の主人公ハンバートも、およそ生産的ではないことにエネルギーを注いでいる。12歳の少女を我がものにしようとする欲望だけならまだしも、だからってその母親の未亡人と結婚することはないじゃないか。ハンバートが車でロリータをアメリカ中連れ回した一年間に、彼がその目的のためだけに費やした金は、いまの相場で換算すると100万円を超えている。ばかである。

しかし舞台なんて世界に関わって生きていることも甚だ不条理なわけで、そこにエネルギーを費やしている自分もまたばかものであることを認めざるをえない。『玉手箱』は、ばかものがばかものの芝居をしているのだ。それを僕はとても素敵なことだと思う。劇中でべつのベテランのストリッパーが叫ぶ。「あたしはここまで続けてきたんだ」。それは今年で旗揚げから40年の黒テントそのものにも当てはまる叫びなのではないか。どんなばかげたことであれ、死ぬまで続けることが出来れば偉大なばかである。ばかのエネルギーを侮ってはならない。自分の死後、通夜の席かなにかで「あいつはばかなヤツだった」と誰かが口にしてくれるなら僕は本望である。

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